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新型コロナウイルス感染は舞台文化にもストップ ― 戦争の脅威以上 近代日本文学を拓く明治のヷグネリアンたち

ライン川の流域で大暴れしていた悪い竜を倒し、溢れんばかりの黄金を手に入れた英雄ジークフリートは計略で落命

復讐に燃える花嫁ブリュンヒルデが一族に血を血で洗う戦争を仕掛ける凄惨なお話

ドイツ・バイエルン州バイロイトで毎年7月から8月にかけて、ワーグナーの作品のみが上演されるバイロイト音楽祭。2020年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、残念ながら中止された。世界中の期待が高まる2021年のバイロイト音楽祭は、予定どおり開催される方針で、1月29日にプログラムが発表された。
新制作の《さまよえるオランダ人》に加え、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》、《タンホイザー》の再演も行なわれる。また、アンドリス・ネルソンスとクリスティアン・ティーレマン指揮による演奏会形式の公演にも注目が集まる。2021年7月4日にオンライン即売が始まり2時間半くらいで完売しましたが、あとはコロナ禍を乗り越えて無事に開催されることを願うばかりだ。
ワーグナーとバイロイト音楽祭
このバイロイトは、1972年にオリンピックが行われたバイエルン州の首都ミュンヘンから、北に約200キロほど離れた小都市で、ふだんは人口約6万人の静かな田舎町だが、この「バイロイト音楽祭」の期間中は大変な活況を呈する。現在、世界各地でいろいろな音楽祭が開催されているが、この「バイロイト音楽祭」は、その中で最も由緒のある、歴史の古いものの一つです。
毎年7月20日頃から約一ヶ月間に渡って行われる「バイロイト音楽祭」に出かけることを、ワーグナー・ファンは〝バイロイト詣で〟と呼んでいる。

リヒャルト・ワーグナーは1813年にドイツで生まれた作曲家です。かつてオペラといえば、イタリア語で歌うものがほとんどでしたが、ワーグナーはドイツ語でも歌えることを示して、オペラの歴史を変えました。また、当時、オペラは娯楽と思われていましたが、ワーグナーはオペラを芸術にまで高めようとしました。
ワーグナーは、警察につかまりそうになったり、ひとから借りたお金を返さなかったり、たくさんの女性と恋をしたり、いろいろ問題も起こしましたが、世界が神々の時代から人の時代に受け渡されるまでを描く広大な構想で、上演に5日かける、ものすごく長いオペラの音楽と物語をすべて自分で書くなど、天才的な才能を持ったひとでした。
彼が書き上げたオペラだけを上演するために、1876年にワーグナーがはじめたバイロイト音楽祭には、世界中からワーグナーのファンがたくさん集まります。
そのこけら落としには、チャイコフスキーもいた。彼は、「専門の音楽家である私が、四部作の個々の部分の上演の後に、精神的にも肉体的にもすっかり疲労困憊したのであってみれば、熱心に傾聴した愛好家たちの披露はどんなに大きかったことだろう」と書いている。確かに、この完成までに26年もの歳月を要した超大作は、聴き手にとっても全部聴き通すのは大変な時間と体力を要求する労作なのである。
ニーベルングの指環
この四部作は、中世の叙事詩『ニーベルンゲンの歌』や、北欧の神話ヴェルズング伝説やドイツ地方の民話(フケー「大蛇殺しのジークフリート」もそのひとつ)を素材として、ワーグナー自身が彼一流の神秘的架空物語としたもの。正確に言えば、中世初め(5~6世紀)の神話伝説を、作者は不明だが13世紀にまとめられたものが一般に読まれています。ひとつはドイツ、他の一つは北欧で編纂され、両者は極めて似た内容を持っています。ドイツではジークフリートの英雄物語としてストーリー性のある「ニーベルンゲンの歌」となり、一方北欧(ノルウェイ、アイスランド)では「エッダ」と、神々やらワルキューレの話も含む「サガ」になっています。このふたつは神話伝説として伝わるスタイルをそのまま集成したもので一貫性はなく、ワーグナーは北欧の「エッダ」をベースに、「ニーベルンゲンの歌」で肉付けています。
バイロイト音楽祭では、『ワルキューレ』と『ジークフリート』の間に一日休みを挟んで上演されます。前半は大神ヴォータン、後半が英雄ジークフリートを主人公にして、神々から、悩ましい腰使いで誘惑するラインの乙女、神々の城を作る巨人族の兄弟、魔法の道具を作る小人族、ドラゴン、そのドラゴンの宝の在り処にジークフリートを導くフェアリー、戦いに明け暮れている民族、彼らに連れ去ら割れ花嫁にされてしまう女性が関わってくるが、この物語の中心にあるのは、世界統治の力を持つ黄金の指環。黄金の力が人間の権力欲を刺激し、醜い権力闘争を引き起こす、古くて新しい永遠のテーマ。果てしない奪い合いの果に、黄金の指環は荒れ狂うライン川に飲み込まれ、その力は、何もかも流し去ったあとの大地に還元される。
ワーグナーが、最初に劇詩『ジークフリートの死』を書いたのは、1848年。35歳のことである。歴史上名高いマルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」が発表された年である。2月22日、社会党と共産党を中核としたフランス市民は、政府軍に攻撃を開始し、パリに二月革命が起こった。3月に入ると、ウィーンに革命騒動が起こり、ワーグナーが宮廷楽長をしていたドレスデンにも、この革命の波はあっという間に押し寄せた。こうした物情騒然たる空気の最中、革命児ジークフリートをワーグナーは創造した。ジークフリートこそ、最もゲルマン的特性を備えた英雄であった。
ワーグナーはスイスに亡命。チューリッヒの豪商ヴェーゼンドンク夫妻の援助で、経済的にはなんら不自由することなく、文筆や創作活動に没頭することができた。
最初の計画では、後に全編の締めくくりとなった《神々の黄昏》にあたる「若きジークフリートの死」だけで独立したオペラとするつもりだったが、ワーグナーは筋を追って前へ前へとさかのぼった台本を書く必要を感じ、『ジークフリート』、『ワルキューレ』、『ラインの黄金』の順で台本を作成した。
この全曲を完成するのに、ワーグナーは26年の歳月を費やした。なんという息の長さ、なんという意志の強さ。しかも、さらに。この『ニーベルングの指環』を理想的に上演できる劇場をも求め、ついに志を遂げた。
近代日本文学と西洋音楽 ワグネリアン啄木
ワーグナーは、1883年の2月13日、ヴェネチアで永眠、漆黒のゴンドラの棺で大運河を下りました。石川啄木の誕生はその翌々年の晩秋10月。
「はたらけど はたらけど 猶わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る」
「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」
教科書にも載っているようなこれらの短歌を詠んだのは、明治時代の歌人・石川啄木。『一握の砂』『悲しき玩具』などの歌集で知られる、生活苦や後悔をテーマにしたその作風は庶民の想いを代弁してくれるかのようで、多くの人から支持を得ています。
啄木は盛岡尋常中学校で、4歳年上の金田一京助と親しくなり、金田一が文芸誌『明星』を勧めたことで与謝野晶子らの短歌の世界に引き込まれ、文学の道を夢見るようになるのです。また学生間で発汗していた回覧雑誌を通して、これまた上級生の野村胡堂とも親しくなっています。野村をリーダーにしたストライキ活動にも参加し、その結果教師24人中19人が退職や転任などの処分を受けるという大問題を引き起こしたことも。文学へと傾倒していた、18才の啄木が書き始めたワーグナー論、「ワグネルの思想」は「岩手日報」に7回連載されました。
啄木は森鴎外の引き立てで「病院の窓」という一作だけは出版社との契約にこぎつけていますが、鴎外や与謝野鉄幹・晶子らのサポートを得て、文芸誌「スバル」を創刊すると、これを履歴書代わりに、東京朝日新聞の校正係に就職します。
明治元年は1868年。この年ワーグナーは、フランス文明は退廃的な物質主義であり、優美を礼儀作法に変形させ、すべてを均一化させ死に至らしめるものであり、この物質的文明から逃れることができるのがドイツであり、古代末期にローマ帝国を滅ぼして新生ヨーロッパを作ったゲルマン民族と同じ国民である、と論じ、1868年6月21日にビューローの指揮によってミュンヘン宮廷歌劇場で初演した『ニュルンベルクのマイスタージンガー』では「たとえ神聖ローマ帝国は雲散霧消しても、最後にこの手に神聖なドイツの芸術が残る」(3幕5場)と歌わせている。
明治のヷグネリアンたち
明治期にはさまざまな文化が日本へ流入してきました。その中の一つが西洋音楽です。西洋音楽は日本の近代的教育制度の一環として取り入れられ、音楽教師の養成とともに始まった唱歌の作曲とともに普及していきました。
軍医として22歳の森鴎外は1884年(明治17年)から88年(同21年)まで、医学の勉強のために足かけ5年間ドイツに留学した。オペラの世界に魅了された鴎外はこの間、オペラ劇場へは数十回通ったという。ワーグナーは83年(同16年)にヴェネチアで客死した。他界したばかりだったので、公演も多かったのだろう。東京大学総合図書館に保管されている鴎外蔵書のオペラ台本は、ワーグナー作品が一番多い。
つづいて夏目漱石が早い方で明治33年9月にイギリスに出発しています。その後土井晩翠、島村抱月が同じイギリスに渡り、明治35年後半の約半年は3人ともロンドンに居ました。後で述べるワーグナー・ブームの火付け役になった宗教学者、姉崎嘲風もその時期ドイツからロンドンに来ていたのでそれを含めれば4人が揃っていたことになります。
先に上げた石川啄木の「ワグネルの思想」が明治36年のこと。明治30年代の半ばには、ワーグナーの魅力の虜になり、楽劇に熱狂した人びとが多数現れました。
ワーグナー・ブームは、宗教学者の姉崎正治(嘲風)が先駆けとされています。姉崎の影響を受けた高山樗牛、石川啄木らは、楽劇のテキストや著作といった文献から、永井荷風は主に実演に接してワーグナーに深く傾倒したとして知られています。彼らのようにワーグナーを愛好する人びとは、ワグネリアンと呼ばれていました。
楽聖ワーグナーは、時を経るに従い、熱狂的なワグネリアンを生みましたが、当時の日本には楽譜を輸入して演奏する楽団も楽人もおらず、啄木がその音楽に直接触れた可能性は低いと言われています。ワーグナーの楽劇がフルで演奏されたのは戦後のことですから、明治時代は序曲など極一部しかも不完全な編成での演奏しか出来ませんでした。
ワーグナーを完全な形で聴いた最初の日本人は恐らくドイツ留学中の森鴎外、女流音楽家の妹を持つ幸田露伴、ニューヨークやパリで劇場三昧の日々を送った永井荷風。そして、弟子に誘われて奏楽堂に通った夏目漱石。近代化に伴って流入する西洋音楽を、彼らはどのように受け止めたのでしょうか。西洋音楽受容の草創期に、ワーグナー音楽に魅せられた文学者たちの著作へ取り上げ方は様々で、それは別の機会に話題にする準備ができています。
明治のワーグナー・ブーム オペラの夢
丸善が洋書目録を刊行したのは明治13年ですから、ワーグナーに関する書籍は渡航者が持ち帰るだけでなく、直接取り寄せることもできたはずです。島村抱月は劇場コンサートに通いつめオペラでも「ワリキューレ」や「神々のたそがれ」を含めかなり観ています。ワーグナー関連の書籍を買い込み逍遥に送った記録が渡英滞英日記にありますが、自らワーグナーについて書いたものは見つかりませんでした。そして夏目漱石のケース。漱石は謡の稽古をしていましたが、西洋音楽はやらなかったようです。しかし漱石の弟子でもありヴァイオリンを弾く寺田寅彦(物理学者)の誘いで時々音楽会に足を運んでいます。また娘にはピアノを購入したり音楽会に連れて行ったりしていますから関心はあったのでしょう。寅彦の日記には「夏目先生を誘い上野音楽学校の演奏会に行く」としばしば出てきます。漱石のロンドン滞在期間中にワーグナーの主要作品は全部上演されていますから、その気になれば観ることが出来たはずです。しかし貧乏留学生で生活費の外はほとんど本の購入に当てていたものの、他の劇場へはロンドン到着後の半年で10回も足を運んでいますからやはりオペラには関心がなかったと思われます。嘲風のケースでも高山樗牛への私信が雑誌「太陽」に3回にわたって掲載され、自ら観た楽劇の感想を「全身栗して身の世にあるを忘れし」と感動して伝えていますが、音楽にはあまり触れていません。「ニーベルングの指環」と「タンホイザー」の物語で表されたワーグナーの思想をショウペンハウワとニーチェとの関連において論じた極めて哲学的なものです。しかし、これがセンセーションを巻き起こしました。どうも明治の音楽界は活字で感動するワーグナー聴かずのワーグナー・ブームであった模様です。
彼らとはまた違ったケースとして、永井荷風が観たオペラの数は上記抱月、嘲風二人の比でなく知識も音楽学者のように広い。「オペラをして最高の芸術たらしめたのは即ちワグネルである」と認めながらも、その思想哲学より愛欲の方に親しみを感じています。抱月と同じく「ワルキューレ」「神々のたそがれ」も観ていますが、当時リヨン・オペラ座のバレリーナに惚れ込んでいた荷風は、「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」のようには興味を示していません。「ワルキューレの夜には舞踏なければ、われは徒に、ソプラノの姿より数多き女戦士の一人一人を見まもりぬ。」と「ふらんす物語」の「舞姫」で切って捨てています。
『バイロイトの第九』から『新バイロイト様式』へ
ところで、ドイツ国民を破滅に導き、世界の国々を悲惨な戦争に巻き込んだアドルフ・ヒトラーはよく、自分自身をドラゴンを退治するジークフリートになぞらえ、『ニーベルングの指環』を愛した。
ヒトラーはワーグナー家や音楽祭を度々訪れ、国家的援助を受け続け、第二次世界大戦中の1944年にも辛うじて(『マイスタージンガー』のみであったが)開催された。しかしそれが限界で、翌1945年にはバイロイトも連合軍機の空襲を受け、劇場は無事だったものの、ヴァンフリート館やリスト(バイロイトで亡くなった)の墓廟が破壊された。この年以降、音楽祭は1951年まで開催されなかった。1951年7月29日、フルトヴェングラー指揮の「第九」で音楽祭は再開された。

純粋な英国本国旧EMIヘイズ工場製・英デッカ版権金色バイロイトレーベル

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1951年には、ワーグナー演奏において今日でも他の追随を許さない圧倒的な演奏を実現させてきたクナッパーツブッシュが登場、《ニーベルングの指輪》全曲を指揮します。チクルスラストの《神々の黄昏》は8月4日土曜日のライヴ・レコーデング。
再開されたとはいえ、音楽祭は資金不足が深刻であった。苦肉の策でワーグナー家のヴィーラントらは、最低限の簡素なセットに照明を巧みに当てて、暗示的に舞台背景を表現するという、新機軸の舞台を考案する。舞台稽古初日、舞台を見回したクナッパーツブッシュは、まだセットが準備されていないのだと思い込み、「何だ、舞台がまだ空っぽじゃないか!」と怒鳴ったという。しかしこの資金不足の賜物であった「空っぽ」な舞台こそが、カール・ベームの新即物主義的な演奏とともに、戦後のヨーロッパ・オペラ界を長らく席巻することになる「新バイロイト様式」の始まりであった。
  • 本盤の発売で初登場となったクナッパーツブッシュ指揮の《神々の黄昏》は、当時のデッカが総力を挙げて録音に取り組んだものですが、出演アーティストの契約問題で発売されることなく、その存在が語り継がれながら、まさに伝説的な録音となってきたものでした。その後、再三の発売要請にも係わらず実現しませんでした。
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約半世紀を経過して初めてテスタメント社が諸問題を解決、LP/CD化されることになったものです。録音はカールショウ、ウィルキンソン組で、デッドで平板になりがちなバイロイト祝祭劇場の音響を立体的に潤いを持って捉えている。また、英国テスタメント180g重量盤は録音秀逸オーディオファイル盤なのは言うまでもなく、発売から早30年近く経過したものの録音秀逸なのを再認識しました。録音された時代と同じ空気を感じられる、音質は第一級。

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1966年7月、バイロイト祝祭劇場でのライヴ録音。ベームの強烈な緊張感をみなぎらせた指揮に改めて拍手を贈りたい。実演で燃えるベームの特徴を最高度に伝える演奏として今後も語り継がれていく事でしょう。

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