録音当時へのタイムトラベルした気分になるのがカール・ベームの不思議な魅力だ。
国際化する以前の ― まだカラヤン節に染まりきっていない頃の ― ベルリン・フィルを指揮した『ツァラトゥストラはかく語りき』『祝典前奏曲』『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』『ドン・ファン』『サロメの踊り』の5作品は、すでに名演奏として有名なもので重厚壮麗で骨太なサウンドが素晴らしい聴きものとなっています。1981年8月14日にザルツブルクで亡くなった。ウィーン・フィルを率いて来日していたので錯覚もしていたが、戦後暫くはウィーン国立歌劇場の音楽監督を引き受けていたが1956年に辞任してからは特定のオーケストラや劇場に所属していない。
来日の中継はFMで聞きましたが熊本はまだ生中継ではありませんでした。レコードで聴くカール・ベームの演奏は、いずれもベームの演奏の特徴である厳格な造形、音楽の自然な流れと劇的な緊張感が見事に示されていた。発売されるレコードは良くカラヤンのレコードと比較して二者択一していた。それが死後一気に、わたしの記憶からずっと遠い存在となった。その晩年にロンドンに客演した幾つかの録音だけが、今も心を満たしてくれている。肩の荷が下りた、奔放さとは無縁の人だったが、彼自身が本来持っていた音楽性がそれらにはあると感じているからだ。
リヒャルト・シュトラウスは第二次世界大戦前後において最も大きな作曲家である。その作曲は一般人にとっては難解なものであるが、それはこの人の意図が尋常でなく非凡の才能をもって、交響曲詩の表現力を文学的あるいは哲学的の領域にまで押し上げたからである。この人の大胆な革新態度と強烈な個性は、その比類のない管弦楽法の手腕を駆使してとにもかくにも前例のない驚くべき作品を完成させている。好むと好まざるとに関せず、リヒャルト・シュトラウスの偉大さは認めなければならぬ。
リヒャルト・シュトラウスと親交のあったカール・ベームは、数多くのオペラ上演を中心に彼の芸術の振興に大きく貢献、オーケストラ・レパートリーでも慧眼というほかない作品を知り尽くしたアプローチで聴き手を魅了しました。若い頃リヒャルト・シュトラウスとブルーノ・ワルター双方と親しくなり深く感化されたカール・ベームは、モーツァルト、ワーグナー、ベルク。リヒャルト・シュトラウスの作品を生涯にわたってレパートリーの柱にした。リヒャルト・シュトラウスのオペラ《無口な女》《ダフネ》を初演。コンサートでもハイドンからベルクに至るドイツーオーストリアの音楽を得意とした。テンポはワルターを模範としながら、リヒャルト・シュトラウス指揮の演出を淵源とした、極めて美しい演奏をしています。ベームは有名オーケストラを指揮し続けましたから、そのリヒャルト・シュトラウス演奏は後人に大きな影響を及ぼしました。言うまでもなく、交響詩やオペラであまりにも有名な作曲家であるが、わたしにとってはオペラと歌曲の人である。リヒャルト・シュトラウスのオペラでは「サロメ」や「ばらの騎士」が特に有名ですが、リヒャルト・シュトラウスのオペラにはマニアック的要素がたくさんあり、それらの要素、面白さを伝えてくれたカール・ベームがいなかったら「ナクソス島のアリアドネ」や「影のない女」は現在まで、きちんと知れ渡っていたであろうか、単に大編成のオーケストラを単に鳴らすだけの演奏とは次元が違うものがあります。リヒャルト・シュトラウスの場合それも理解できるが音響にこだわる人、派手な効果は期待できない。故にリヒャルト・シュトラウスの音楽を愛する人にはぜひお勧めしたい。作曲者と親交厚かったべームの真摯な探求の成果がここにあリ、ベームならではの質実剛健なアプローチが作品本来の味わいをよく引き出しています。リヒャルト・シュトラウスのオペラを知り尽くしていた指揮者ベーム。ベームが振るシュトラウスには言葉では言い表せない「品格」にこそ聞き所がある。
リヒャルト・シュトラウスが1923年にウィーン・フィルで彼の「家庭交響曲」の練習を行った時、ちょうどこの「演奏不可能」なパッセージに差し掛かった。コンサートマスターは弾くのを止め、諦めながら言った。
「総監督、この部分はすべての音符を弾くことが不可能です!」
「もちろん、出来ないでしょうよ」と作曲者が説明して言った。
「私も、あなた方に、このパッセージに書いてあるすべてを弾いて頂こうとは思っていませんよ」
この時、後ろの方に座っていた楽団員が言った。
「今、俺達が弾いているように譜が書いてあったとしても、俺達はもう一度その通りに引くことは出来ないね」
1933年秋、「エジプトのヘレナ」の「ウィーン版」がクレメンス・クラウス指揮により国立歌劇場で初演された。練習は作曲者立会いの下に行われた。休憩中、ウィーン・フィルの有名なソロ・オーボエ奏者だったアレクサンダー・ヴンデラーが、席に残って一所懸命、彼の難しいパートを練習していた。するとリヒャルト・シュトラウスがやってきて尋ねた。
「難しいかね?」
それに対してヴンデラーはすっかり洗いざらいに言った。
「はい、ほとんど上手く吹けません!」
するとシュトラウスいわく、「それじゃあ、何か違ったものをお吹きなさい。ここは、ただ、こんな風に響けばいいだけだから」
そして、こう言うと、彼は手で波のような運動を空に描いたのであった。
リヒャルト・シュトラウスが65歳の時、ウィーン国立歌劇場で「薔薇の騎士」を4回振った。このときのこと。若いハンガリーの指揮者ヤーノシュ・フェレンチークが、この作曲家とウィーン・フィルを近くで聴こうとオーケストラ・ボックスに入り、打楽器の後ろに座っていた。公演はシュトラウスが振る時はいつもそうであったように、インスピレーションに満ちたものであった。
最後の和音が終わり、作曲者が少し疲れた様子で指揮台を離れた時、フェレンチークは賞賛の言葉を述べようと彼に近寄ったが、それよりもシュトラウスの言う方が早かった。
「忌々しく長いオペラだろう、君・・・・・・!」
こう言うとフェレンチークの肩を叩いて姿を消した。
カール・ベームはオーストリアのグラーツ生まれ。幼い頃から音楽を個人教師に学び、1913年から翌年にかけてウィーンでブラームスの友人だったマンディチェフスキーに学んだ後、グラーツ大学で法律を専攻して博士号をとっている。16年にグラーツ歌劇場の練習指揮者になり、翌年指揮者としてデビュー、21年からミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の指揮者となり、27年からダルムシュタット、31年からハンブルク、34年からドレスデンとドイツの代表的な歌劇場の音楽監督として活躍し、この間、33年にはウィーン国立歌劇場とウィーン・フィルにデビュー、36年にはドレスデン国立歌劇場とイギリス公演を行い成功をおさめた。43年に念願のウィーン国立歌劇場の音楽監督となったが終戦のため45年に中断した。ベームもドレスデンには強い愛着があり、ドイツが東西に分断された後もザルツブルク音楽祭などで機会あるごとに演奏と録音を行っている。
その様に同時代に新作オペラとして次々と登場するリヒャルト・シュトラウスのオペラは現在の私たちがAKB48を好むか、好まざるかかわらず耳にし、関心を示し今の出来事として感じていることと同じだった。そのレコード盤の中に、その時々の時間が固定されている。劇場内の高揚感、陶酔感。正にベームを聴く醍醐味はライブでの燃えに燃えるそのものなのです。
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《独 TULIP ALLE HERSTELLER 盤 オリジナル》DE DGG SLPM138 866 カール・ベーム R.シュトラウス・管弦楽集 カール・ベームは数多くのオペラ上演を中心に、芸術の振興に大きく貢献。オーケストラ・レパートリーでも慧眼というほかない作品を知り尽くしたアプローチで聴き手を魅了しました。本盤には、そんなベームがまだカラヤン節に染まりきっていない頃のベルリンフィルを完全ドライブした名演。ベームならではの質実剛健なアプローチが作品本来の味わいをよく引き出しています。重厚壮麗で骨太なサウンドが素晴らしい聴きものとなっています。ベーム博士の厳しい表情、近寄り難いオーラが感じ取れます。ドイツ・プレスのラージ・チューリップ盤。ステレオ録音。
通販レコード詳細・コンディション、価格
プロダクト
- レコード番号
- SLPM138 866
- 作曲家
- リヒャルト・シュトラウス
- オーケストラ
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- 指揮者
- カール・ベーム
- 録音種別
- STEREO
TULIP ALLE HERSTELLER, STEREO 1枚組(140g), Release 9/65。
コンディション
- ジャケット状態
- M-
- レコード状態
- EX
- 製盤国
- DE(ドイツ)盤
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通常価格 | 8,800円(税込) |
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September 29, 2023 at 08:00AM from アナログレコードの魅力✪昭和の名盤レコードコンサートでご体験ください http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1140602.html
via Amadeusclassics
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