楽譜に対して客観的に誠実に取り組んで、ゆったり目のテンポでスケール大きく描きあげられた演奏と存在感あるゲヴァントハウスの音色
《独ブラック銀文字盤》DE ETERNA 825 416 コンヴィチュニー ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ベートーヴェン・交響曲7番
旧東ドイツ時代のベートーヴェン演奏の精髄として当時大きな話題となった全集からの一枚。ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターを終生務めたコンヴィチュニーの最高傑作で、重心の低い質実剛健な演奏は今もってひとつの基準となる名演と言えます。
序奏からズドンとヘビィ級の音塊をぶつけてきます。 ― しかし野暮ったくはない。序奏が終わっても、一切慌てず騒がず。この辺、フランツ・コンヴィチュニーならではの堂々とした音楽作りが堪能できます。
言うまでもないことですがベートーヴェンが250年前に作ったスコアを録音が発明された20世紀から以降の、120年間ほどの演奏を私たちは聞き返している。名指揮者パウル・ファン・ケンペンが死去した後、志鳥栄八郎が「あれほど騒がれていた彼が、いまそうでなくなった。演奏家というのは死んだらおしまいだ」と言っていた。とはいえ名演奏家が死後、レコードで聴き継がれるケースも有る。
どんなに録音技術が進んでも、それは生の姿を十全には伝え得ないが、演奏家の音をいたずらに増幅・美化させることも出来てしまうのが録音技術でもある。ドイツの伝統を継承する巨匠コンヴィチュニーのベートーヴェンは、彼の至芸を愛でる者にとっては格別のレコードです。
聞き手の耳をさっと捕まえてしまうような魅力には乏しいかもしれません。聞き手の耳をすぐに虜にするような愛想の良さや声高な主張もありません。まず、すぐに気がつくのは、今ではなかなか聞くことのできなくなったふくよかで暖かみのあるオーケストラの響きの素晴らしさです。きらきらした華やかさとは正反対の厚みのある響きです。弦もいいですが、特に木管群の響きが魅力的です。確かに、昨今のオーケストラと比べれば機能的とは言えないのでしょうが内部の見通しも良く透明感も失っていません。とは言え、コンヴィチュニーの基本は「淡麗辛口」です。
ドンと構えていて、ここぞというところではぐっと力こぶが入る「野蛮さ」みたいなモノが残っている演奏。隅々まで指揮者の指示が行き届いていて、まさにコンヴィチュニーという指揮者が信じるベートーヴェン像が確固として提示されている。この時代にまで連綿と引き継がれてきた伝統的なベートーヴェン像を見事なまでに具体化してくれているということです。ドイツの伝統に立脚した堅固な造形と重心の低い〝いぶし銀〟とも例えられた響き、安定したテンポによる誇張を排した表現は彼ならではの存在感がある。推進力は強めで、それは良いのだが、重厚な演奏が多いコンヴィチュニーにしては軽快さが印象的で、あまり刻むことなくスムーズに先に進んでいく。
第2楽章はゆったり目のテンポで切々と悲哀な感じに歌い上げてじっくり盛り上げてくれます。この辺りから、聴きなれた〝ウィーン・フィルを指揮したカラヤンの第7番〟と重なって聴こえてくる。第3楽章スケルツォの、なかなかの爽快感。
そして第4楽章は、木管楽器がよく聞こえてくるようなバランスを保つので野卑になりません。重心の低い、渋い演奏のベートーヴェンです。カラヤンもドイツ音楽に真髄を聴かせていたといえることで、1960年初頭にはクリュイタンス、クレンペラー、ワルター、クリップスのベートーヴェンが目白押し。こういった方向性は、その道の大家であるカラヤンに任せておけば良いのであって、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏には、とても芯が太く重厚で細部に至るまで全く手抜きの無い、しっかりした構成で旧東ドイツ時代のベートーヴェン演奏の見本を感じさせる。それにとどまったのは残念なところで、それは〝ベートーヴェンの交響曲第7番〟の演奏の難しいところなのだろう。
言うまでもないことですがベートーヴェンが250年前に作ったスコアを録音が発明された20世紀から以降の、120年間ほどの演奏を私たちは聞き返している。名指揮者パウル・ファン・ケンペンが死去した後、志鳥栄八郎が「あれほど騒がれていた彼が、いまそうでなくなった。演奏家というのは死んだらおしまいだ」と言っていた。とはいえ名演奏家が死後、レコードで聴き継がれるケースも有る。
どんなに録音技術が進んでも、それは生の姿を十全には伝え得ないが、演奏家の音をいたずらに増幅・美化させることも出来てしまうのが録音技術でもある。ドイツの伝統を継承する巨匠コンヴィチュニーのベートーヴェンは、彼の至芸を愛でる者にとっては格別のレコードです。
聞き手の耳をさっと捕まえてしまうような魅力には乏しいかもしれません。聞き手の耳をすぐに虜にするような愛想の良さや声高な主張もありません。まず、すぐに気がつくのは、今ではなかなか聞くことのできなくなったふくよかで暖かみのあるオーケストラの響きの素晴らしさです。きらきらした華やかさとは正反対の厚みのある響きです。弦もいいですが、特に木管群の響きが魅力的です。確かに、昨今のオーケストラと比べれば機能的とは言えないのでしょうが内部の見通しも良く透明感も失っていません。とは言え、コンヴィチュニーの基本は「淡麗辛口」です。
ドンと構えていて、ここぞというところではぐっと力こぶが入る「野蛮さ」みたいなモノが残っている演奏。隅々まで指揮者の指示が行き届いていて、まさにコンヴィチュニーという指揮者が信じるベートーヴェン像が確固として提示されている。この時代にまで連綿と引き継がれてきた伝統的なベートーヴェン像を見事なまでに具体化してくれているということです。ドイツの伝統に立脚した堅固な造形と重心の低い〝いぶし銀〟とも例えられた響き、安定したテンポによる誇張を排した表現は彼ならではの存在感がある。推進力は強めで、それは良いのだが、重厚な演奏が多いコンヴィチュニーにしては軽快さが印象的で、あまり刻むことなくスムーズに先に進んでいく。
第2楽章はゆったり目のテンポで切々と悲哀な感じに歌い上げてじっくり盛り上げてくれます。この辺りから、聴きなれた〝ウィーン・フィルを指揮したカラヤンの第7番〟と重なって聴こえてくる。第3楽章スケルツォの、なかなかの爽快感。
そして第4楽章は、木管楽器がよく聞こえてくるようなバランスを保つので野卑になりません。重心の低い、渋い演奏のベートーヴェンです。カラヤンもドイツ音楽に真髄を聴かせていたといえることで、1960年初頭にはクリュイタンス、クレンペラー、ワルター、クリップスのベートーヴェンが目白押し。こういった方向性は、その道の大家であるカラヤンに任せておけば良いのであって、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏には、とても芯が太く重厚で細部に至るまで全く手抜きの無い、しっかりした構成で旧東ドイツ時代のベートーヴェン演奏の見本を感じさせる。それにとどまったのは残念なところで、それは〝ベートーヴェンの交響曲第7番〟の演奏の難しいところなのだろう。
1959年6月ライプツィヒ、ベタニア教会でのセッション・ステレオ録音。
通販レコード詳細・コンディション、価格
プロダクト
- レコード番号
- 825 416
- 作曲家
- ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
- オーケストラ
- ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
- 指揮者
- フランツ・コンヴィチュニー
- 録音種別
- STEREO
BLACK WITH SILVER LETTERING, STEREO 1枚組(150g), Release 1974。
販売レコードのカバー、レーベル写真
コンディション
- ジャケット状態
- M-
- レコード状態
- M-
- 製盤国
- DE(ドイツ)盤
1971年の再発盤ですが、クリアでかつ重厚感のある高音質盤です。
通販レコード
詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。
オーダーは | 品番 / 34-24901 |
販売価格 | ¥2,750(税込) |
http://img01.ti-da.net/usr/a/m/a/amadeusrecord/34-24901.jpg
October 21, 2022 at 06:30AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1129495.html
via Amadeusclassics
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