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現代音楽の孤島 自分のスタイルをチューニングした彼の全盛期の作品は、未だに創造の神秘的な魅力に包まれている。

ANNE SOPHIE MUTTER (LIVE), Violin Concerto No. 2: Metamorphosen, Krzysztof Penderecki

ポーランドの作曲家、ペンデレツキが没した日(2000年3月29日)。ペンデレツキといえば、映画で音楽が使用されることも多く、とりわけキューブリックが監督を務めた『シャイニング』がよく知られている。その他、広島の原爆投下、同時多発テロなど歴史上の悲惨な事件をテーマとした音楽も残している。
現代音楽は可哀想である。クラシック・ファンを自認する人にさえ、聴かれもせずに「わけの分からない音楽」と、放ったらかしにされる。しかし、日本のオーケストラのコンサートによく行かれる方には、お馴染みの現代音楽家としての指揮者・作曲家があるはず。

意図が明確な作曲家の指揮により、曲の全貌・本質が理解できる一枚。

  • Hommage à Penderecki
  • 今日時点では、映画『ジョーズ』の音楽技法で注目され、『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』、『インディー・ジョーンズ』と言ったファンタジー、アドヴェンチャーから、シリアスな『シンドラーのリスト』の作曲家としてアカデミー賞を受賞しているジョン・ウィリアムズだろう。
  • GB EMI SLS850 ペンデレツキ PENDERECKI…
  • 第二次大戦後に西側現代前衛音楽をいち早く取り入れ、独自の理論や表現を持つ作曲家が現れた。このペンデレツキとルトスワフスキィは高名である。ペンデレツキは次第にその作風が前衛的なものから調性へと移り、新ロマン主義作家を代表する現代作家となった。

Krzysztof Eugeniusz Penderecki

前衛的な響きを追求しつつも、唯一無二の作風を確立させたペンデレツキ。

(1933.11.23〜2020.3.29、ポーランド)
ポーランドを代表する前衛音楽作曲家、指揮者のクシシュトフ・ペンデレツキはクラクフ生まれのカトリック教徒。彼は若い頃からすぐに名声を手にします。そしてそれは1956年のスターリン主義崩壊によって文化的な検閲から解放され、芸術家が自由を謳歌した時代背景にも助けられました。
 彼の最初期の作風は「十二音技法」から始まり、その後〝すべての伝統からサウンドを解放する〟ために編み出した「音の塊(ト―ン・クラスター)技法」を試み、その代表作が1959年~60年に作曲された「アナクラシス(Anaklasis)」や「広島の犠牲者の追悼のための哀歌」であった。まだ20歳代半ばで作られた、彼の代表作となりました。
 1965年、創作の頂点とされる《ルカ受難曲》を書き上げた。16世紀のポリフォニー音楽に遡るスターバト・マーテルなども含まれるこの受難曲には、実験的なテクスチャーと、バロック的な形式、さらには伝統的な和声と旋律を使用するなどし、全体的なバランスが取られています。
 楽器の演奏法の開拓や、珍しい楽器の使用など、チャレンジ精神旺盛で、1971年には、フリージャズで知られるトランペット奏者のドン・チェリーと、「The New Eternal Rhythm Orchestra」を組み録音を残しています。
 響きとしては、最前衛にいる伝統の破壊者として知られますが、同時に古典的な形式を守るタイプの作曲家でもあります。例えば、《広島の犠牲者に捧げる哀歌》《ポリモルフィア》は共にABA’の古典形式があり、後者に至っては本来の前衛作曲家ならばもっとも嫌うはずの、典型的なハ長調の和音(ドミソのこと)が最後に使用されています。
 過去の自分のスタイルを踏襲をすることに興味はなく、1970年代半ばになると、「自分は伝統への回帰によって、形式主義の前衛的な罠から救われたのだ」と結論づけ、いわゆる現代音楽とはほど遠い、ベルリオーズさえ感じさせる、ロマン主義的な方向性へ傾倒した。
 2020年3月29日、長い闘病生活の末、自宅のあるポーランド南部クラクフにて死去。当時の最前衛を突破した作品群は、誰も到達し得なかった特異点であり、その演奏はいつも強烈な力を孕んでいます。

ポーランドの音楽評論家アンドレイ・クロペキは、前衛時代の創造性について、「現代音楽の孤島」のようだと称しました。ペンデレツキはそれに対し、「自分のスタイルをチューニングしたのだ」と答えました。

通販レコードのご案内ペンデレツキは1976年の初来日以来たびたび訪日、日本のオーケストラに客演し自作の作品を披露した。今セットは本人自身が指揮しており、創作意欲満々で楽譜の隅々まで透視しているのがわかります。尚、「カプリッチョ」にはポーランドの現代音楽を得意とした名女流ヴァイオリニスト「ワンダ・ウィウコミルスカ」が参加している。
    曲目/「フォノグラミ」(1973年)/チェロ協奏曲(1972年)/「ダ・ナトューラ・ソノリス第2番」/「カノン」(1962年)/「カプリッチョ」(1972年)/「エマナツィオーネン」/「パルティータ」
    演奏者/ジークフリート・パルム(チェロ)/ワンダ・ウィウコミルスカ(ヴァイオリン)/フェリシア・ブルメンタール(チェンバロ)/クシシュトフ・ペンデレツキ(指揮)/ポーランド放送交響楽団

ソリストワンダ・ウィウコミルスカ(Wanda Wilkomirska)。ポーランドを代表する女流ヴァイオリニスト。1929年1月11日生まれ。2018年5月1日没。

 1946年のジュネーブ、1949年のブダペストで開催された音楽コンクールで入賞。1950年にライプツィヒで開催されたヨハン・セバスティアン・バッハ国際音楽コンクールで第2位を受賞。1952年のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールでカロル・シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番を演奏してユリアン・シトコヴェツキーとともに第2位を受賞(第1位はイーゴリ・オイストラフ)。ポーランドの音楽を世界に広めたことに対する多大な貢献が評価され、ポーランド国家勲章を授与されている。クラシックから20世紀の音楽まで幅広いレパートリーをカバー。ポーランドの作曲家タデウシュ・バイルト、クシシュトフ・ペンデレツキの作品の初演を行ったことでも知られる。
 ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の首席ソリストを以後22年間に渡って務める傍ら、世界中で演奏活動を行った。1960年代から70年代にかけて1年には100回以上もコンサートを行っている。オーストラリアでは、1969年に37回ものコンサートを行い、高い評価を受け、1973年には新築されたシドニーのオペラハウスで、ソロリサイタルを行った最初のヴァイオリニストとなった。
 兄でチェリストのカジミエージュ・ヴィウコミルスキ、姉でピアニストのマリア・ジュ・ヴィウコミルスカとピアノ三重奏団「ウィコミルスカ・トリオ」を結成して活動。モスクワ、東京、ロンドン、ドイツのミュンヘン、オーストリアのウィーン、グラーツ、イタリアのゴリツィア、ポーランドのポズナン、クラクフ、ウッチ、ルブリンなどで開催された多くの音楽コンクールで審査員を務めた。クリスティアン・ツィマーマン、ダニエル・バレンボイム、ギドン・クレーメル、マルタ・アルゲリッチ、キム・カシュカシャン、ミッシャ・マイスキーなど一流のアーティストと数多く共演している。

ソリストジークフリート・パルム(Siegfried Palm)はドイツのチェリスト。1927年4月3日生まれ。2005年6月6日没。

 18歳でリューベック市立管弦楽団の首席チェロ奏者に就任し、その2年後の1947年からは北ドイツ放送交響楽団の首席チェロ奏者を務め、1962年までの15年間在籍した。その間、1951年から1962年にかけて、ベルンハルト・ハマンが主催するハマン弦楽四重奏団のメンバーとして現代音楽を演奏した。
 ダルムシュタット現代音楽祭の講師を務めるなど、パルムは現代音楽を積極的に演奏しており、パルムが師事したエンリコ・マイナルディは「最もむずかしい現代作曲家のチェロの作品を弾くためのテクニックを私から学んだと言っているが、これは、彼自身が新しい可能性を開拓していったもので、そこに彼が到達したことは驚嘆に値する」と述べている。彼は、数多くのレコード録音により、1969年に「ドイツ・レコード賞」を、1972年に「国際レコード大賞」を受賞した。ただし、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団でチェロ奏者を務めたユリウス・ベッキは、パルムの言葉として「古典とロマン派のチェロの作品の演奏こそ本来の使命であり、新しいチェロ作品の演奏は道楽である」「チェロの演奏を新しい作品によって習得しうるなどと考える人々は、およそ原点に立ち返り学ばなくてはならない。そうでないすべてのやり方は混乱を招くだけだ。ロンベルクなしにはペンデレツキは存在しない」と記している。また、パルムの協奏曲のレパートリー42曲のうち29曲が現代曲であったと指摘しており、「ジークフリート・パルムは、新しい、前衛的な作品に取り組む勇気、実験的作品に対する悦び、息をのむばかりのテクニックをもって、常に新しい音の世界へ突き進んでいる」と評している。
 1976年からは、オペラ演出も手がけ、ベルリン・ドイツ・オペラでヒンデミットの《カルディヤック》やオッフェンバック作品などのプロダクションを手がけ、1980年ごろまで演出家としての活動に力を入れていた。

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