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覇王の誕生◉カラヤン ベルリン・フィル フィルハーモニア管 チャイコフスキー 交響曲4番/5番/6番

通販レコードのご案内天に届きそうな金管、内臓をえぐるような弦、ズシリとした打楽器。

JP 東芝音楽工業(赤盤) AA7650-1 カラヤン/フィルハーモニア/ベルリンフィル チャイコフスキー三大交響曲《エヴァークリーン盤》JP 東芝音楽工業(赤盤) AA7650-1 カラヤン/フィルハーモニア/ベルリン・フィル チャイコフスキー三大交響曲
 初めてチャイコフスキーを聞くことに取り組むのなら、カラヤンがいい。凡百の指揮者が陥りがちな甘美なメロディだけに酔うような演奏ではなく、豪快でありながら各楽器の動きを丁寧に描ききった第4番、シンフォニックで華麗、かつ情熱的な第5番、そして『悲愴』は美しいメロディに秘められた翳りの感情が見事に表現されています。
 カラヤンがどういう音楽家だったかは、チャイコフスキーを聴くと良い。カラヤンはチャイコフスキーの後期交響曲を何回も録音していますが、有名なのはダイナミックな1971年録音(EMI)、研ぎ澄まされた集中力で聴かせる1966年録音(DGG)か。本盤はステレオ初期のベルリン・フィルとの「第4番」初録音。当時のベルリン・フィルの濃密で滑らかな響きが魅了する。
 カラヤンのチャイコフスキーの交響曲第4番は、フィルハーモニア管との1953年盤を筆頭に、ベルリン・フィルとは15年間で4回の録音(COLUMBIA〔EMI〕1960年、DGG1966年、EMI1971年、DGG1976年)とひしめき合っている。
  戦前、戦中、戦後と、カラヤンの行く手をことごとくさえぎっていた音楽界の巨人フルトヴェングラーが、1954年11月に急逝する。これはクラシック音楽界の〝桶狭間〟だった。翌年の2月に迫った歴史的なアメリカ公演で自分たちを統率してくれる指揮者を失ってベルリン・フィルは焦った。このときドイツ政府からベルリン・フィルは、今回のアメリカ公演は絶対に成功させよと言明されており、もし病身のフルトヴェングラーに何かが起きた場合に備えてこの巨人に代わる恥ずかしくない指揮者を用意しておかなければならなかった。ベルリン・フィルは入院中の主には内緒でカラヤンに代行のアポイントを取っていた。そして不幸にも主は病死し、ベルリン・フィルはアメリカ公演の指揮者代理にカラヤンを選んだ。
「万一フルトヴェングラーの身に何か起きたときは」という条件を、カラヤンは「フルトヴェングラー博士の後継者という条件で!」と受け取り、「首席指揮者」ではなく、アメリカ楽旅の前に「終身指揮者」の地位を契約する見返りを要求した。ベルリン・フィルのカラヤン時代が幕を開け、カラヤンは楽団の改革を行う。SPレコード時代から、カラヤンとフルトヴェングラーは、ベルリン・フィルを分け合ってレコードづくりをしているが、両者の個性はティンパニで聞き分けることができる。
 シュヴァルベ、ブランディス、シュピーラー、ボルヴィツキー、ツェペリッツ、ツェラー、コッホ、ライスター、ドゥーセ=ウテシュなど、多くの名人がこの時期に入団した。また自分のベルリン・フィル・コンサートを非・会員制にすることで、「過去の栄光」に固執するる客層を追い出した。そして録音、マスコミ出演などの仕事を増やし、世界に対して新しいベルリン・フィルのイメージを植えつけていく。クラシック音楽がレコード産業の重要なビジネス、ドル箱に育つ弾み台に成った。
 後年、カラヤンのチャイコフスキーの交響曲はたいてい「4番、5番、6番」がセットで録音される。1971年の6日間で3曲を録音したことは、よく引き合いに出される。しかしこのとき、カラヤンはこの第4番だけを独立して演奏する。
 カラヤンは、1929年1月に20歳でプロの指揮者としてデビューした時に、交響曲第5番を指揮しています。初めての《悲愴》は、その4年後に、ウルムで振りました。その演奏会の後、彼は両親に「終演後、聴衆は10秒間打ちのめされたようにただ座っていました。そして直後にサッカー場のようなブラボーが起こったのです」と報告。
 ベルリン・フィルとの最初のチャイコフスキーは、1939年の《悲愴》の録音で、これは彼がベルリン・フィルにデビューした1年後のことでした。彼は当時すでに、交響曲第4番もレパートリーに加えていました。
 ベルリン・フィルのチャイコフスキー演奏は、オーケストラの創成期にさかのぼります。作曲家は最初のふたりの首席指揮者、ハンス・フォン・ビューローとアルトゥール・ニキシュを知っており、その演奏を評価していました。続くヴィルヘルム・フルトヴェングラーも、優れた演奏を残しています。そして選ばれたこの第4番だけを独立した演奏。カラヤンは、フルトヴェングラーの後任として就任してからわずか5年後の録音で、まだフルトヴェングラー時代の音を色濃く残したベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の仄暗い音色が聴きどころです。カラヤンの指揮も後のゴージャスなスタイルとは異なり譜面に忠実でありながらも実に堂々とした立派な演奏を繰り広げています。
 マンチェスター・ガーディアン誌が奏者の誰もが全身全霊で弓を動かし、管を吹き、打楽器を打ち鳴らしていた。音のひとつひとつが生命力をもつと同時に、ほかのすべての音と一体になっていた。と評した、カラヤン壮年期の覇気あふれる名演。未来に向けて熱く燃える新たな指揮者と優秀な楽団員による輝かしい音楽がある。録音も大変素晴らしく聴きやすく当時のベルリン・フィルの音色を見事にとらえています。
1960年2月、3月ベルリン、グリューネヴァルト教会でのステレオ録音。

販売レコードのカバー、レーベル写真

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  • JP 東芝音楽工業(赤盤) AA7650-1 カラヤン/フィルハーモ…

通販レコード詳細・コンディション、価格

プロダクト

レコード番号
AA7650-1
作曲家
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
オーケストラ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 フィルハーモニア管弦楽団
指揮者
ヘルベルト・フォン・カラヤン
録音種別
STEREO

コンディション

ジャケット状態
M-
レコード状態
EX++
製盤国
JP(日本)盤
東芝音楽工業製(赤盤), STEREO 2枚組 170g重量盤, 国内再編集の為、スタンパー 2ZJ 製盤技術向上音質良好.

通販レコード

詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。
  • オーダー番号34-25489
  • 販売価格3,000円(税別)


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