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永遠の定番ピックアップ マルケヴィッチ、ヘブラー、セルの入魂の名演 わたしたちは過去の遺産の恩恵を享受している

1972年の恩師ディアギレフの生誕100年を記念して録音したロシア・バレエ団のために書かれたバレエ音楽集

通販レコードのご案内FR GUILDE SMS5227/28 マルケヴィチ モンテカルロのセルゲイ・ディアギレフ

鋭い眼光と長い指揮棒を駆使し、楽員を一糸乱れず統率し、楽曲を切れ味鋭く、聴かせどころの盛り上げをダイナミックに表現した凄さでマニアに大人気の20世紀を代表する名指揮者、イーゴリ・マルケヴィチ(1912.7.27~1983.3.7)。ピアノをコルトーに、和声と作曲をナディア・ブーランジェに学びました。
ロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフに依頼されたピアノ協奏曲(1929年作)で、作曲家としてデビュー。1930年、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で自作を振って指揮者デビュー。その後ヘルマン・シェルヘンに指揮法を師事し、本格的に指揮活動に入りました。日本へも度々来演し、1960年の旧日本フィルへ客演した際のストラヴィンスキーの“春の祭典”の名演は語り草となっています。本盤は、1972年の恩師ディアギレフの生誕100年を記念して録音したロシア・バレエ団のために書かれたバレエ音楽集。
セルゲイ・ディアギレフはロシアの芸術プロデューサーで、ニジンスキーを擁した伝説のバレエ団「バレエ・リュス」の創設者として歴史に名を残しています。ストラヴィンスキー「火の鳥」や「春の祭典」、ラヴェル「ダフニスとクロエ」など数多くの委嘱作品を世に送り出し、バレエを総合芸術に高めた偉人です。
  • そのディアギレフの晩年に若きマルケヴィッチは薫陶を受けており、バレエ・リュスとゆかりの深いモンテカルロ管を率いて収録した本作に対する思い入れは特別なものがあったでしょう。ロシア音楽を得意とするマルケヴィッチがあえてフランスのバレエ作品だけをセレクトした通好みの2枚組です。
  • FR GUILDE SMS5227/28 マルケヴィチ モンテカルロのセルゲイ・ディアギレフ
かつて世界最大のレコード通販会社として君臨したコンサートホール・ソサエティ(略称CHS)は、スイスを本拠地として、英米独仏だけでなく遠くアジアの日本などに販売網を広げていました。残念ながら経営に行き詰まり、70年代前半倒産しましたが、EMI、DECCA、COLUMBIAと云ったメジャーレーベルから漏れた隠れた演奏には名演も多く、貴重な文化遺産となっています。このGUILDE INTERNATIONALE DU DISQUEは、CHSのフランス版で、クオリティに差はありません。

スタインウェイ・ピアニストとしての面目躍如

通販レコードのご案内NL PHILIPS A02322L イングリッド・ヘブラー モーツァルト ピアノソナタ選集第11番/第9番/第8番

イングリッド・ヘブラーほど、その主要レパートリーをモーツァルトに特化して演奏をし続けているピアニストは稀であるといえよう。彼女自身モーツァルトと同じオーストリア出身と云うことも関係しているのかもしれません。
西欧の肖像画では衣装に細かく美しいレースの刺繍が施されている絵を多く見るが、ヘブラーの演奏はまさに細く輝く糸で精巧に編まれた刺繍細工を見ているような気持ちにさせてくれる。
まるでモーツァルトを際立たせるかのように、丹念に、丹念に彼の作品を美しく飾ることに専念している。音楽性と技巧をひたすらモーツァルトの音楽に奉仕させるという姿勢を貫いている。
  • NL PHILIPS A02322L イングリッド・ヘブラー モーツ…
  • イングリット・ヘブラーは本盤1960年代フィリップスに録音したモーツァルトのピアノ作品全集の素晴らしさで知られている。刺繍職人の素晴らしい細工が、いつまでも輝きを放ち、色褪せることのないように、何の不足もない。ヘブラーの玉を転がすようなタッチが美しいし、フィリップスの暖かい録音もいい。
録音はヘブラーが丹念に、さらに丹念に練習し、納得ゆくところで進められてゆく。録音セッションの合間の食事のときでも、ヘブラー心はここにあらず、さっさと自分の部屋に引き上げると、夜起き出して、ホールで自己鍛錬に集中するアーティストだ。彼女が練習の間はレコーディング・スタッフはただひたすら待つのみである。その潔さとあくまでも古典派の音楽へのアプローチとしての自由自在な表現が彼女の到達しえた解釈なのだろう。

驚くべき透明さや精緻とバランスを持っている美の結晶・セルが追い求めた理想のモーツァルト

通販レコードのご案内US COLUMBIA MS6858 セル/クリーブランド管 モーツァルト 交響曲第28番/第33番/フィガロの結婚序曲

セルの最大の業績はオハイオ州の地方都市クリーブランドのオーケストラを、大都会のニューヨーク、ボストン、シカゴ、ロサンゼルス各オーケストラに比肩する、いや場合によっては凌駕する全米屈指の名門オーケストラに育て上げたことではないでしょう。その演奏スタイルは独裁者と揶揄されたセルの芸風を反映して、驚くべき透明さや精緻とバランスを持って演奏することであったという。
  • セルはまたオーケストラのある特定のセクションが目立つことを嫌い、アンサンブル全体がスムーズかつ同質に統合されることを徹底したとも云う。こうしたセルの演奏からまず伝わってくるのは、あたりを払うような威厳であり、作品の本質を奥底まで見つめようとする鋭い視線が窺える。
  • US COLUMBIA MS6858 セル/クリーブランド管 モーツ…
絶頂期のクリーヴランド管弦楽団の音色の美しさも特筆すべきもので、オーケストラ全体がまるでひとつの楽器のように聴こえます。音がギッシリ詰まって密度が高い証左か、とにかく、セルの棒にかかると、実に格調高く、またスケールの大きなものとなる。さらに、旋律の歌わせ方などは、セルがハンガリー出身であることも思い出させてくれます。ここに西側の指揮者は真似できない何かが有ります。
カラヤンがクリーブランドで、セルがベルリンで指揮をしていたとしたら、今聞くクラシック音楽のイメージは変わっていたか。セルと同時期に活躍した指揮者といえばマリナー、クレンペラー、ベーム、カラヤンは交響曲全集を残したモーツァルト振りだった。彼らの演奏したモーツァルト演奏は今日において重要な名盤、名演のガイドラインであることに間違いない。
今日においてベートーヴェンも大オーケストラで演奏するよりも小オーケストラで演奏する機会が非常に多いわけだが、先駆けとして彼らの演奏があって、スタンダードになったと言っても良いだろう。

ジョージ・セルはオーストリア=ハンガリー帝国時代のブタペストで生まれました。3歳からウィーン音楽院でピアノ、指揮、作曲を学び、11歳でモーツァルトのピアノ協奏曲を弾いてピアニストとしてデビュー。ヨーロッパ各地へ演奏旅行を行い、自作曲も披露、「モーツァルトの再来」とも評されます。作曲家・指揮者だったリヒャルト・シュトラウスに認められ、ベルリン国立歌劇場のアシスタント指揮者となったのは、18歳のとき。オーストラリアへの演奏旅行の帰途に第二次世界大戦が勃発、トスカニーニの援助でNBC響の客演指揮者として迎えられる形でアメリカにとどまり、帰国をあきらめざるを得なかった。
戦後早々にクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任。経営陣から一切のマネジメントの権限を手に入れたセルは大改革を行います。楽団員の半分以上を解雇し、罵声を浴びせながらも徹底した訓練を行い、10年足らずで世界第一級のオーケストラに育て上げました。
そんな怖いセルがウィーン・フィルの客演に招かれたときのエピソードは有名です。ウィーン・フィルの団員たちが、彼の指揮に対して勇気を出して文句をつけたときのこと、セルはきっぱりとこう言ったそうです。
わたしは諸君に招かれてきた。だから諸君は私を追い出すこともできる。つまり二つの道がある。諸君の馴染んだやり方でやるか、わたしのやりたいようにやるか。わたしは最初のやり方に賛成しない。だから第二の道しかないわけだ!
感情移入を行わない禁欲的で厳密な解釈と終身雇用が日常だった日本では特に「冷徹な」指揮者とする評価が、米COLUMBIAの日本での発売元が、CBSソニーになったことも相まって、マイナスのイメージもあったが、楽譜に書かれている指示に正直であれば、作曲家のイメージした音楽が顕現するのです。
ギルドシステムの強かったアメリカの楽団スタイルを、固定メンバーとし、オーディションを勝ち抜いた精鋭たちによって構成したことでカラヤンのベルリン・フィルでもできなかった、セルが追い求めた理想のモーツァルト像を実現した。
経営難にあったクリーヴランド管に、リヒャルト・シュトラウス時代の大編成は望むことはできなかったろうが、小編成であるが故緩やかな楽章での色彩豊かなアンサンブル、疾走感あふれる演奏で響きが引き締まり、強靭さが増すことをリヒャルト・シュトラウスから学んだことでもあったのではないか。


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May 29, 2022 at 11:45PM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1145959.html
via Amadeusclassics

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