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ブルックナー・ファン必聴のケンペ マニア垂涎のクリップス 超弩級の隠れ名盤 ベニー・グッドマンの前衛音楽

ブルックナー・ファン、ケンペ・ファン、必聴の名盤。

通販レコードのご案内CH exlibris EL16 607 ルドルフ・ケンペ チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 ブルックナー:交響曲8番

  • ケンペらしい、ドイツらしい引き締まって美しい弦の響きと、意外に豪快な金管の組み合わせが絶妙な名演。スイスの高級レコード頒布会社Ex Librisから1973年に発売され、録音の優秀さでも話題となりました。権利関係が複雑なためか2000年代までCD化されず、幻の名演としてマニアの間で再発が待望された名盤のオリジナル盤です。
  • CH exlibris EL16 607 ケンペ ブルックナー:交響…
1971年11月12・13日チューリッヒ、トーンハレ録音。日本ではLP2枚組としてケンペが亡くなる直前の1975年に発売され、その解説を担当した評論家宇野功芳が「極めてユニークで内省的な演奏」と紹介しました。評判のクナッパーツブッシュや朝比奈、後年話題になったヴァントと聴き比べても、ケンペ盤は同じようなアプローチのようでいて、宗教性とか、虚心坦懐に音楽と向き合うとか、そういう言葉では括れない態度を感じます。ケンペは言うさがすべきではない。めぐり合うべきである。さがすということは、意識的な小細工を意味する。めぐり合うのは、作曲者とその音楽に対する献身の結果である。〝内省的〟とは、神に畏怖しながらも、萎縮することなく対峙しているケンペの裸の心を評言している。

指揮者の体臭は一切感じさせず、ここにあるのはウィーン・フィルの匂い立つような美しさがすべてだ。

通販レコードのご案内GB DEC GOS604-6 クリップス ウィーン・フィル モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ(全曲)

ヨーゼフ・クリップスは音楽の都ウィーン出身の名指揮者。ナチス政権に協力しなかったため、1945年の終戦後すぐにオーストリアの楽壇に復帰することができ、戦後ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とザルツブルク音楽祭を最初に指揮したひとりである。奇しくもクナッパーツブッシュ、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤンはナチ協力の嫌疑で復帰が遅れた。その巨匠不在のウィーン・フィルを支えた名匠といえる。モーツァルト、リヒャルト・シュトラウスの作品を得意とした。
音楽とは貴族的(アリストクラティック)なものであり、庶民的(デモクラティック)なものではないと言っていたクリップス。
  • GB DEC GOS604-6 クリップス モーツァルト:ドン・ジョ…
  • 彼の演奏はウィーンの音楽を愛する人々にとってはまさにかけがえのない財産でした。リズムが生き生きしていて、歌の表現のためにテンポを落とすという誘惑に屈することはなかった。常に温かみのある柔和でノーブルなその演奏は、現代では求め得ない、ウィーン気質が横溢した味わい深い演奏となっています。
1955年6月ウィーン、レドゥーテンザール録音。歌手も一軍揃い、チェーザレ・シエピ、クルト・ベーメ、シュザンヌ・ダンコ、リーザ・デラ・カーザ、アントン・デルモータ、フェルナンド・コレナ、ヒルデ・ギューデン、ヴァルター・ベリー。英デッカ社が、ウィーン・フィルを完全に掌握していた頃、ウィーンでの人気取りの為にも、ザルツブルク出身のカラヤンだけでなく、生粋のウィーン子のクリップスにも登場願うとは、英デッカ社の強かさが見え隠れしますね。モーツァルト生誕200年記念を祝って、クライバーのフィガロの結婚、ベームの魔笛、コジ・ファン・トゥッテ、そしてクリップスのドン・ジョバンニのモーツァルト4大オペラをリリース。いずれもステレオ初期の決定盤としてオリジナル盤はマニア垂涎の品となっています。

1960年代アメリカで起きていた歴史的偉業

通販レコードのご案内GB RCA SB6701 ベニー・グッドマン&モートン・グールド ニールセン:クラリネット協奏曲、交響曲2番「4つの気質」

ベニー・グッドマンやアーティ・ショウを始めとしたジャズ・プレイヤーからもこよなく愛される楽器『クラリネット』。1700年頃にドイツの楽器製作者J.C.デンナーがフランスの古楽器・シャリュモーを改造して作ったとされていますが、正確な製作年代はわかっていません。しかしそのまろやかで魅力的な音色はモーツァルトを始めとした作曲家たちに愛されたことで、数多くの名作が生まれました。
幼少期から優れた音楽的才能を発揮したニールセン(1865-1931)。ニールセンの3つの協奏曲は、彼の6曲の交響曲と同じように、全ての管弦楽作品の中核を構成するものです。どれもが古典的な伝統に則りつつも、独自の作風が模索されており、各々の楽器の特性にも配慮された見事なものです。クラリネット協奏曲はコペンハーゲン管楽五重奏団のメンバーのために書かれた曲で、アンサンブルのクラリネット奏者オーゲ・オクセンヴァドに献呈された作品で、小編成のオーケストラを用いた特徴的な音楽です。縦横無尽に動き回るクラリネットのパッセージは賛否両論を巻き起こしましたが、現在ではこの意外性が愛されています。人間の気質を表すとされる4つの楽章で構成された交響曲第2番は、ニールセンの創意工夫と、豊かな描写力溢れる画期的な作品であり、モートン・グールドが曲の特色を生かした、聴き応えのある演奏を繰り広げています。
  • スウィング・ジャズの巨匠ベニー・グッドマンは、クラリネット奏者としていくつかクラシック作品を録音しています。これは前衛的な香りのニールセンのクラリネット協奏曲で、複雑な旋律を軽快に吹いているのはさすが。カップリングの交響曲第2番「4つの気質」はシカゴ交響楽団らしい豪快なサウンドが満喫できます。オーディオファイルにもお勧めの優秀録音盤。
  • GB RCA SB6701 ベニー・グッドマン&モートン・グールド ニールセン:クラリネット協奏曲、交響曲2番「4つの気質」
モートン・グールドは「20世紀の音楽の巨人」ともいうべき、最も才能に溢れた音楽家の一人で、ピューリッツアー賞を受賞した作曲家、グラミー賞に輝いた指揮者、優れた編曲家、そして天才的なピアニストとして、クラシックとポピュラーの両分野で大きな足跡を残しました。ニューヨーク州に生まれ、最初の作品を出版したのが6歳といわれる、10歳を超えたころからストコフスキーやトスカニーニがその作品を取り上げる神童でした。作曲活動も幅広く、クラシック音楽のみならず、映画やラジオ、TV、ブロードウェイやバレエのために様々な作品を残しています。
指揮者としても長じていたグールドは全米のメジャー・オーケストラのみならず、カナダ、メキシコ、ヨーロッパ、オーストリア、日本で指揮活動を行ないました、シカゴ交響楽団を初めて指揮したのはライナー時代の1955年のことで、ラヴィニア音楽祭への客演でした。次のジャン・マルティノンの時代になると、RCAは録音契約を音楽監督のマルティノンのほか、グールドと小澤征爾に振り分けて、積極的な録音を行ないました。
グールドがシカゴ交響楽団と残した録音は、自作曲「管弦楽のためのスピリチュアルス」のほか、盟友コープランドの「舞踏交響曲」、アイヴズの交響曲第1番の世界初録音(1966年のグラミー賞受賞)、交響曲第2番やオーケストラ曲(コネチカット州レディングのパットナム将軍の野営地、「アメリカ」の主題による変奏曲、ロバート・ブラウニング序曲)のほか、ニールセンの交響曲第2番「4つの気質」とクラリネット協奏曲(ベニー・グッドマンがクラリネット・ソロを担当する本盤)、チャイコフスキーのワルツ集、リムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」とミヤスコフフキーの交響曲第21番と幅広い色彩的なレパートリーが含まれているのが特徴です。
彼らのパフォーマンスが色褪せないのと同じく、世紀が替わった現在においてもまったく古くささを感じさせない瑞々しいばかりのレコーディング・クオリティには驚くばかり。とかくヨーロッパ側に目がいきがちですが、1960年代アメリカで起きていた歴史的偉業を見逃す訳にはいきません。

超弩級の名演。鮮やかなヴィルトゥオジティはまったく色褪せず、我々の耳を圧倒する。

通販レコードのご案内GB RCA SB6690 ジョン・ブラウニング&ラインスドルフ プロコフィエフ:ピアノ協奏曲1番/2番

プロコフィエフのピアノ協奏曲はどれも難曲とされています。1932年、作曲者自身のピアノによって録音されたり第3番(HMV)にはじまり、ミトロプーロスによる弾き振り(America Columbia)や、カペル/ドラティ(Victor)、カッチェン/アンセルメ(Decca/SBT 1300)、フランソワ/クリュイタンス(columbia)など数々の名演をうみ、1950年代には完全に「古典」として定着していましたが、プロコフィエフの生前に4番が演奏されたことはありませんでした。1965年、この時代最高の超絶技巧を誇り、特に同じアメリカのバーバーからは絶大な信頼を寄せられピアノ協奏曲まで贈られたジョン・ブラウニングが、実に丁寧に編み上げられたラインスドルフのサポートを受けて、世界で初めてプロコフィエフの協奏曲全5曲の録音を実現。この偉業を決して忘れてはならない。あまりに鮮やかなヴィルトゥオジティはまったく色褪せず、圧倒するかのように我々の耳に響きます。
  • GB RCA SB6690 ジョン・ブラウニング&ラインスドルフ プ…
  • 卓越した超絶技巧と繊細な美音で知られる、20世紀アメリカを代表する名ピアニスト、ジョン・ブラウニング。RCAに録音したプロコフィエフのピアノ協奏曲全集より、1番と2番。ブラウニングの全盛期1960年代の録音は今聴いても素晴らしく、彼がヴァン・クライバーンのライバルとして全米を席巻していたことも頷けます。
高度な技術が要求されるのはピアノ・ソロだけではありません。数多の作曲技法と音楽的アイディアを駆使したプロコフィエフの協奏曲は、オーケストラ部分も交響曲作品に負けず多彩な表現がなされ、演奏者もしくは聴衆を管弦的音響がおりなす蜘蛛の巣に絡めとるかのような魔術的魅力を持っています。このオーケストラ・パートを丁寧に、しかし各音の勢いを殺すことなく時に激情をあらわにもする、これ以上ないと思える完璧さで演じているのがラインスドルフ&ボストン交響楽団。このバックだけでも必聴といえるほど。初にしていきなり、超弩級の名演の出現となったのです。1965年ボストン録音。

テレビ時代の美貌と美声のソプラノ。

通販レコードのご案内DE eurodisc 85 825 アンナ・モッフォ オペラ・アリア集

イタリア系アメリカ人のソプラノ歌手として、イタリアと米国で圧倒的人気を誇ったアンナ・モッフォ。デビューから引退まで、18シーズンに渡って、約200公演、21の役柄を歌ったモッフォは、RCAレーベルに数多くの録音を遺していますが、ルネ・レイボヴィッツとの『マノンの肖像』、レオポルド・ストコフスキーとの『オーヴェルニュの歌』、フランスのピアニスト、ジャン・カサドシュとのドビュッシー歌曲集など、個性的な名演で輝いていました。モッフォは、活動の初期は主にコロラトゥーラの役を得意としていましたが、やがてスピントの役からメゾ・ソプラノのレパートリーへと移行、カルメンなどのメゾソプラノ役にも新境地を示したものの、酷使が祟ってかソプラノ歌手としてもやや早すぎる40歳代半ばの1976年、舞台から引退します。時代はテレビ全盛。テレビ放送用のオペラ映画『蝶々夫人』がデビュー作。テレビとレコードでの活動が際立っていたので、日本での正当な評価は二の次でしたが、わたしが最初に夢中になったソプラノ歌手でした。乳がんとの10年に及ぶ闘病中に、脳卒中で死亡。早いもので没後15年が過ぎました。
  • 聖チェチーリア音楽院への留学以来鍛えられた美声と、映画女優としても活躍したほどの美貌を兼ね備えたスター歌手として一世を風靡しました。「イタリアの10大美女」に選ばれたこともあったとか。これは30歳代後半の円熟期のスタジオ録音で、この数年後にはRCA社の会長ロバート・サーノフと結婚して実質的に引退してしまうのですが、実にもったいない素晴らしい美声を聴かせてくれています。
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クルト・アイヒホルン指揮ミュンヘン放送管弦楽団
1971年12月ミュンヘン、バイエルン放送第1スタジオ録音。
【収録曲】
ドニゼッティ:ああ遅すぎる-恋の炎~『シャモニーのリンダ』
グノー:私は夢に生きたい~『ロミオとジュリエット』
ヴェルディ:何という奇蹟!-夢ではなかった~『十字軍のロンバルディア人』
ヴェルディ:ああそはかの人か-花から花へ~『椿姫』
レオンカヴァッロ:大空を晴れやかに(鳥の歌)~『道化師』
シャルパンティエ:その日から~『ルイーズ』
プッチーニ:歌に生き恋に生き~『トスカ』
プッチーニ:母もなく~『修道女アンジェリカ』
プッチーニ:ある晴れた日に~『蝶々夫人』


https://recordsound.jp/images/item/w270/26200/26116_1.jpg
March 31, 2022 at 07:15AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1145979.html
via Amadeusclassics

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