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100年前の緊急事態宣言◯スペイン風邪の大流行の最中、10人での初演は成功したストラヴィンスキーの舞台作品《兵士の物語》

ストラヴィンスキーの舞台作品《兵士の物語》の初演が行われた日(1918年9月28日)。7人の演奏者と3人の役者で上演できる。作者36歳の頃の作品で、すでに発表した3大バレエ《火の鳥》、《ペトルーシュカ》、《春の祭典》の後にあたる。初演は成功したが、奇しくも当時、ヨーロッパを襲ったスペイン風邪の大流行により、巡業公演が取りやめられたと言われている。

〝耳で見る〟「兵士の物語」の豪華な面子。コクトーが亡くなるちょうど1年前の二度と現れることのない歴史的録音。

通販レコードのご案内CH EXLIBRIS 835 181 マルケヴィッチ ストラヴィンスキー・兵士の物語

変拍子を多用し、アメリカのラグタイム/ディキシーランド・ジャズを消化した奇妙でユニークな音楽。小説家のシャルル・フェルディナン・ラミューズがロシアの民話「脱走兵と悪魔」を元にしてフランス語で台本を書き、ストラヴィンスキーが7人の演奏者(ヴァイオリン、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン、コントラバス、打楽器)からなる小編成のアンサンブルと語り手と俳優(悪魔、兵士、王女)のために作曲。
 悪魔に名優ピーター・ユスティノフ、ジャン=マリー・フェルテの兵士、アンヌ・トニエッティの王女。朗読と演劇、バレエを総合した舞台作品ですが、ストラビンスキーと交友のあった20世紀の大詩人ジャン・コクトーが語り手を勤め、コクトーと交友のあったマルケヴィッチが指揮して、名手モーリス・アンドレが参加というだけで、最上の名盤と言えます。〝耳で見る〟「兵士の物語」の歴史的演奏。
 1918年に発表された〝朗読と演劇、バレエ〟を総合した舞台作品で、ストラヴィンスキーの新古典主義への移行を示す重要作で、「読まれ、演じられ、踊られる」と付記されている、一種の音楽劇。更に特徴的なのは、通常語り手が受け持つ説明の一部をそれぞれの役に割り振ったり、通常パントマイムのプリンセスにセリフを割り当てたりして等々、前例がないレコードで聞く物語だけに、工夫が凝らされストラヴィンスキー創作のレコード録音としての頂点とも云えるのではないでしょうか。
  • CH EXLIBRIS 835 181 マルケヴィッチ ストラヴィンスキー・兵士の物語
  • マルケヴィッチは本当に多彩で、ロシアものや自国のフランスものを得意としていた。なので、力強い激しさがあるが、その中に何か優しさを感じる繊細さも感じられる。この録音は 1962 年に、スイスの第17回モントルー=ヴヴェイ国際音楽祭での公演を機に実現したもので収録に参加した豪華な面子を見れば、二度と現れることのない歴史的録音であることは一目瞭然。
■コクトーが亡くなるちょうど1年前の1962年10月4日から8日にかけてスイス、ヴヴェイ劇場で録音されました。ジャケットのイラストはジャン・コクトーがこのレコードのために描いたものです。


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via Amadeusclassics

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