往年のまさに定盤中の定盤として一世を風靡した盤の日本国内初出盤。アナログ的で引き締まった密度のある音と音色で、楽音も豊か。情報量が多く、対旋律の細部に至るまで明瞭に浮かび上がってくる。高域は空間が広く、光彩ある音色。低域は重厚で厚みがある。オーケストレーションが立体的に浮かび上がる。モノクロではなくこんなにカラフルで立体的な音響。
再生音だけではなく、半世紀以前制作盤とは思えない状態と豪華装丁には驚かれるとおもいます。ハンドメイドの余韻が感じられます。是非英国オリジナル盤所有する方、比較試聴して頂きたい。
再生音だけではなく、半世紀以前制作盤とは思えない状態と豪華装丁には驚かれるとおもいます。ハンドメイドの余韻が感じられます。是非英国オリジナル盤所有する方、比較試聴して頂きたい。
低評価に放置されていた国内最初期盤に、こんな良い音刻まれていたのか!と吃驚する。
通販レコードのご案内JP LONDON SLA1128 マゼール・クリーヴランド管 レスピーギ 交響詩「ローマの松」/交響詩「ローマの祭」
作曲者のレスピーギは中世からバロック期にいたるイタリアの伝統的な音楽的要素を、近代的な管弦楽法を用いて20世紀に復活させることに心血を注ぎました。一般的に《ローマ三部作》と言われている3つの作品は、いずれも古代から現代までのローマの歴史や風物に思いを馳せた華麗な作品です。
マーラー以後の20世紀の管弦楽作品で、ハリウッドの映画音楽のようだと言われることもある、絢爛豪華なオーケストラ・サウンド。「ローマの松」では木々の間でさえずり交わす小鳥の鳴き声を録音した作曲者指定のレコードを聞かせたりと各種仕掛け満載で、それでいてオーケストラが滅法巧く録音もいいので極楽クラシック。
古代ローマの戦車が石畳を進む果てしない足音の休みないリズム。霧の中から涌き出るような静謐な音楽など聴き所に事欠かない管弦楽の名曲。「この手」の音楽を振らせたら天下一品の演奏を聴かせるマゼールらしく、色彩感あふれる華麗な演奏を聴かせてくれます。ただし、LP時代は3作全てをレコード1枚に収録する事ができなかったので、指揮者とプロデューサーの嗜好が選曲に反映されていました。マゼールは「ローマの松」は、ベルリン・フィル、本盤、ピッツバーグで録音していますが、「ローマの祭り」は2回、「ローマの噴水」はデジタル時代になって録音しています。
マーラー以後の20世紀の管弦楽作品で、ハリウッドの映画音楽のようだと言われることもある、絢爛豪華なオーケストラ・サウンド。「ローマの松」では木々の間でさえずり交わす小鳥の鳴き声を録音した作曲者指定のレコードを聞かせたりと各種仕掛け満載で、それでいてオーケストラが滅法巧く録音もいいので極楽クラシック。
古代ローマの戦車が石畳を進む果てしない足音の休みないリズム。霧の中から涌き出るような静謐な音楽など聴き所に事欠かない管弦楽の名曲。「この手」の音楽を振らせたら天下一品の演奏を聴かせるマゼールらしく、色彩感あふれる華麗な演奏を聴かせてくれます。ただし、LP時代は3作全てをレコード1枚に収録する事ができなかったので、指揮者とプロデューサーの嗜好が選曲に反映されていました。マゼールは「ローマの松」は、ベルリン・フィル、本盤、ピッツバーグで録音していますが、「ローマの祭り」は2回、「ローマの噴水」はデジタル時代になって録音しています。
- オーケストラを掌握して自在に操ることにおいては、マゼールの右に出る指揮者はいないと思います。きついアクセントを多用した、鋭く刺激的な音を繰り出してくる一方、極端なスタッカートを盛り込んだり、弾力性を持たせたリズム感など、複雑なスコアが変幻自在のバトンテクで処理されていく緩急の計算には、程よい緊張感を感じられて最高。
《主顕祭》はクリーヴランドらしいカラっと乾いたサウンドで、軽やかなパフォーマンス。シロフォンや木管の駆け回るようなオブリガートは、はっきりと耳に入るよう采配し、全体を貫く祭りのリズムを明瞭に浮き立たせる。みなぎるパワーは蘇民祭級の盛り上がりです。
この頃のデッカ社は一軍の制作チームをクリーブランドに送り込み70年代優秀録音盤連発したことは有名。1976年5月クリーブランド・メイソニックホールセッション。プロデューサはウールコック。デッカ名録音エンジニア・ウィルキンソンの代表盤。ウィルキンソン自身が最高傑作というド級のオーディオファイル盤、いまだにこの曲最高峰。米国のThe Absolute Sound誌による高音質ディスクTOP12の一枚として伝説的。低域の量感、締まり、ホールトーン、ブラスのキレ、パーカッションの風圧。この音を最高の状態で再生するためには相当の装置が必要かもしれない。
この頃のデッカ社は一軍の制作チームをクリーブランドに送り込み70年代優秀録音盤連発したことは有名。1976年5月クリーブランド・メイソニックホールセッション。プロデューサはウールコック。デッカ名録音エンジニア・ウィルキンソンの代表盤。ウィルキンソン自身が最高傑作というド級のオーディオファイル盤、いまだにこの曲最高峰。米国のThe Absolute Sound誌による高音質ディスクTOP12の一枚として伝説的。低域の量感、締まり、ホールトーン、ブラスのキレ、パーカッションの風圧。この音を最高の状態で再生するためには相当の装置が必要かもしれない。
通販レコードのご案内JP LONDON SLC1160 マリオ・デル・モナコ イタリア民謡集
- 「黄金のトランペット」と呼ばれたその圧倒的な声で一世を風靡し、世界中の聴衆を熱狂させた不世出の大テノール歌手デル・モナコ。彼の本領はオペラの舞台にありましたが、イタリア民謡やポピュラー・ソングでもファンを魅了しました。このディスクはLP時代にベストセラーを記録した《イタリアン・ソングス》です。
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Side-1
- 永久に君を愛す(チンクエ)
- 五月の一夜(チオッフィ)
- オ・ソレ・ミオ(ディ・カプア)
- 泣かないお前(デ・クルティス)
- 初恋の小舟(マイナルディ)
- グラナダ(ララ)
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Side-2
- 彼女に告げて(ファルヴォ)
- プジレコの漁夫(タリアフェッリ)
- お前のところに帰りたい(レンディーネ)
- 太陽の土地(ダンニバーレ)
- 秋(デ・クルティス)
- 帰れ、ソレントへ(デ・クルティス)
1.比類なき広大な周波数レンジ(10Hz~35KHz)、2.めざましいトランジェント特性(卓越した解像度)、3.迫真のエネルギー感(瞬発力ある圧倒的な迫力)、4.低歪率(清澄な透明感、混濁のない音質)、5.アナログの精密度(キメが細かい、なめらかな肌触り)等のクオリティを有し、特別高品質材料を使用した超重量レコード(180g)に特別限定プレスと謳われた宣伝文句は30年前は「誇大広告」と不審に思いましたが、オーディオ装置止揚した故か、やはり一級のオーディオファイル盤として再認識。
超一流アーティストで構成した、クラシックのベーシック・ライブラリー。DECCA黄金時代の名盤が勢揃い。
通販レコードのご案内JP LONDON SLB48 バックハウス/イッセルシュテット/ウィーン・フィル ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
〝鍵盤の獅子王〟と称された20世紀最大のピアニスト、バックハウスが、円熟を極める時期に録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲の傑作。
- 悠然たるスケールで展開される力強くも美しい巨匠芸は永遠に不滅です。バックハウスのピアノと、ウィーン・フィルの典雅な響き、劇的な演出はどこにもないが、シュミット=イッセルシュテットの堅固な造形、これらが三位一体となった名演奏。山ほどある《皇帝》のレコードの中でも最高峰のうちの一つ。
1959年6月ウィーン録音。バックハウス晩年のステレオ録音による比類なく美しい名演です。まるで、融通無碍の境地で、自由に音符と戯れているように、静かな所は静かに激しいところは激しく聴こえて来るところが、彼の魅力と言えるでしょうか。この巨匠にとって最後のベートーヴェン協奏曲全集になるであろうことを指揮者もオーケストラも噛みしめて、最高のサポートをしています。高名な老巨匠であるから、数えきれない回数演奏を重ねてきたはずですが5曲の協奏曲の個性が活き活きとしている。シュミット=イッセルシュテットの解釈であろうが、このウィーン・フィルの奏者達のバックハウスへの献身こそが活気を呼び起こしているのかも。オーケストラは、アコースティックな響きを伴って迫ってくる。音圧が高く、音に密度と力がある。高域の空間と伸びは適度。低域は空間が広く、密度のある音。チェロをはじめとする弦楽器も温かい音色で、高低の分離も良い。国内初出の偉大なSLBシリーズ盤。キングレコード製FFSSラベル溝有り、フラット重量盤190g、英国DECCA同一スタンパー使用盤。
通販レコードのご案内JP LONDON SLC-5019 ストコフスキー ストラヴィンスキー・火の鳥/ムソルグスキー・禿山の一夜/チャイコフスキー・スラブ行進曲
3大バレエの中でストラヴィンスキーの出世作となったこの《火の鳥》は、他の「ぺトルーシュカ」「春の祭典」に比べると「現代音楽なんてつまらない…」と思われている方にも、ずっと親しみ易くロマンティックな曲で、特に〝魔王カスチェイの踊り〟などはきっとどこかで耳にしたことがあると思います。
今世紀初頭、ディアギレフのロシア・バレエ団がフォーキン振付によって初演した『火の鳥』は、ロシア民話をもとにしたものであった。ストラヴィンスキーの色彩豊かな音楽によって、豪華な絵本をめくるような幻想的な舞台が創られた。内容は王子が火の鳥の助けを得て魔王を滅ぼし、美しい王女と結ばれるというものである。
今世紀初頭、ディアギレフのロシア・バレエ団がフォーキン振付によって初演した『火の鳥』は、ロシア民話をもとにしたものであった。ストラヴィンスキーの色彩豊かな音楽によって、豪華な絵本をめくるような幻想的な舞台が創られた。内容は王子が火の鳥の助けを得て魔王を滅ぼし、美しい王女と結ばれるというものである。
- こういったストーリー性のある描写的な音楽を面白く聴かせる事にかけては右に出るもののない手腕を発揮するストコフスキーが、オーケストラ作品の醍醐味をたっぷりと味わわせてくれます。「禿山の一夜」は有名なストコフスキー自身による編曲版。痛快無比な「火の鳥」をはじめ、ストコフスキーの面目躍如!
レコード音楽といえば、エジソン以来150年の歴史があるわけですが、機械式録音(通称ラッパ吹き込み)の性能を革命的に飛躍せしめた電気式録音が登場したのは1924年の事であり、翌1925年にはストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団によって世界初の管弦楽の電気録音が行なわれました。この方式によって大太鼓の低音やシンバルの高音が録音可能になり、1927年頃からは大ヒットしたバッハのトッカータとフーガなどの大規模な曲が次々に録音されます。作曲者自身のピアノロールへの録音は有りましたが、ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」の最初のレコード発売はこのとき。モノラル録音だが、録音の質は驚くほど高い。音色はカラフルでまったりと豊かである。こういうレコードを昼下がりにのんびり聴いていると、ステレオ録音なんて別に発明されなくてもよかったんじゃないか…というような過激な思いさえふと抱いてしまう。閑話休題。SP,LPのモノラル時代に6回、ステレオ時代に2回の計8回もストコフスキーは録音している。ベルリン・フィルのステレオ録音第1号がストコフスキー指揮の《火の鳥》でした。これがストコフスキーによる同曲8回目にして最後の録音。1965年発売キングレコード社製〝phase4stereo〟溝有り。170g重量盤。音の生々しさは空前絶後のものと断言していいでしょう。
この録音で用いられた《Phase 4 Stereo》はDeccaが1960年代初頭、他社に先駆けて導入した20チャンネル・マルチトラック収録。メカ好きで有名だったストコフスキーはポピュラーやイージー・リスニングの分野で採用されはじめていたPhase 4 Stereo(フェイズ・フォー・ステレオ)方式を自身の録音に応用しようと提案。そのため、レコーディング・スタッフもDeccaの通常のクラシック収録とは違う、専門チームが当たったといいます。
オーディオ的な聴きどころは、冒頭の序曲の、地の底から湧きあがってくるような大太鼓、チェロ、コントラバスによる重低音の響き、〝魔王カスチェイの踊り〟 の素晴しいダイナミックレンジの広き、又ピアニッシモの弦の美しさ、そして終曲の壮大なクライマックスの迫力など枚挙にいとまがありません。
オーディオ的面白さもなるほど満載なのだが、それ以上にストコフスキーならではの濃い表現が面白い。ストコフスキーの奏でる音には独特の色付けみたいなのがあるし、この人の場合、時として楽譜の勝手な改変が問題にされるが、そういう事をとくに気にかけなければ、艷やかで色っぽい音を気持ちよく楽しむことができる。大抵のリスナーは言われなければ気が付かないはずだ。ストコフスキーが編曲した《はげ山の一夜》は「ファンタジア」に用いられたものだと思うが、全曲通じて聴くとけっこうやりたい放題である。もともと美しい顔立ちなのに、ケバいくらいの厚化粧をしている。そもそもムソルグスキーが1867年にこの曲を作った時には、あまりに規格外の粗野な仕上がりだったので、演奏も出版もされませんでした。1930年代に何度か自筆稿のコピーによる演奏が行われたことがありますが、広く演奏されるようになったのは1967年になって、改訂される前の作曲家が書いたオリジナルの楽譜(原典版)が出版されてからです。3曲の中ではっきりとストコフスキー編曲と明記されているのは《はげ山の一夜》だけだが、《火の鳥》も《スラヴ行進曲》も実にメリハリの効いた演奏である。おそらく、そういう批判は生前のストコフスキーにも届いていたのではないかと思うのだが、最後まで自分の流儀で押し切った感じが素晴らしい。きっと、クラシック音楽の伝道師として、良い音楽をいかに聞き手にわかりやすく届けるかが最も大事とわかっていたのだろう、と思う。一つ一つの場面でどの楽器を主役にするかがはっきりしていて、目指している方向がわかりやすい。
レオポルド・ストコフスキーを一言で言い表すとしたら……。興行師、エンターテイナー、空想家、扇動者、回し者、あるいは魔術師? 他にもまだいろいろあるかもしれません。DECCAのアーティストの中でも最も個性的な人物の一人であり、音楽の演奏史において最も不屈の改革者の一人であったストコフスキーが亡くなってから50年になります。
この録音で用いられた《Phase 4 Stereo》はDeccaが1960年代初頭、他社に先駆けて導入した20チャンネル・マルチトラック収録。メカ好きで有名だったストコフスキーはポピュラーやイージー・リスニングの分野で採用されはじめていたPhase 4 Stereo(フェイズ・フォー・ステレオ)方式を自身の録音に応用しようと提案。そのため、レコーディング・スタッフもDeccaの通常のクラシック収録とは違う、専門チームが当たったといいます。
オーディオ的な聴きどころは、冒頭の序曲の、地の底から湧きあがってくるような大太鼓、チェロ、コントラバスによる重低音の響き、〝魔王カスチェイの踊り〟 の素晴しいダイナミックレンジの広き、又ピアニッシモの弦の美しさ、そして終曲の壮大なクライマックスの迫力など枚挙にいとまがありません。
オーディオ的面白さもなるほど満載なのだが、それ以上にストコフスキーならではの濃い表現が面白い。ストコフスキーの奏でる音には独特の色付けみたいなのがあるし、この人の場合、時として楽譜の勝手な改変が問題にされるが、そういう事をとくに気にかけなければ、艷やかで色っぽい音を気持ちよく楽しむことができる。大抵のリスナーは言われなければ気が付かないはずだ。ストコフスキーが編曲した《はげ山の一夜》は「ファンタジア」に用いられたものだと思うが、全曲通じて聴くとけっこうやりたい放題である。もともと美しい顔立ちなのに、ケバいくらいの厚化粧をしている。そもそもムソルグスキーが1867年にこの曲を作った時には、あまりに規格外の粗野な仕上がりだったので、演奏も出版もされませんでした。1930年代に何度か自筆稿のコピーによる演奏が行われたことがありますが、広く演奏されるようになったのは1967年になって、改訂される前の作曲家が書いたオリジナルの楽譜(原典版)が出版されてからです。3曲の中ではっきりとストコフスキー編曲と明記されているのは《はげ山の一夜》だけだが、《火の鳥》も《スラヴ行進曲》も実にメリハリの効いた演奏である。おそらく、そういう批判は生前のストコフスキーにも届いていたのではないかと思うのだが、最後まで自分の流儀で押し切った感じが素晴らしい。きっと、クラシック音楽の伝道師として、良い音楽をいかに聞き手にわかりやすく届けるかが最も大事とわかっていたのだろう、と思う。一つ一つの場面でどの楽器を主役にするかがはっきりしていて、目指している方向がわかりやすい。
レオポルド・ストコフスキーを一言で言い表すとしたら……。興行師、エンターテイナー、空想家、扇動者、回し者、あるいは魔術師? 他にもまだいろいろあるかもしれません。DECCAのアーティストの中でも最も個性的な人物の一人であり、音楽の演奏史において最も不屈の改革者の一人であったストコフスキーが亡くなってから50年になります。
通販レコードのご案内JP LONDON SLC8082 アンセルメ フランス音楽コンサート
スイスのオーケストラと、フランス語圏で育ったスイス人指揮者の定評の高い演奏が、さらにその魅力を明快に伝えてくれます。言葉以上に、指揮者のお国柄や文化の差が演奏にも現れているのかもしれないが、最終的には指揮者の持つ音楽観というものが演奏にも大きく反映したものだろう。
- エレガントで洒落たメロディ、機知に富んだ明るく洗練された感覚、管楽器が華やかに活躍するサウンド等々、フランス音楽の伝統は、ある意味でドイツ音楽の対極にあるものとしてイメージされてきました。このディスクに収録された6曲の管弦楽曲は、そんなフランス音楽の魅力に触れることのできる作品ばかりです。定評の高いアンセルメの演奏がさらにその魅力を明快に伝えてくれます。
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Side-1
- オッフェンバック:喜歌劇『天国と地獄』序曲
- デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』
- トマ:歌劇『ミニョン』序曲
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Side-2
- オッフェンバック:喜歌劇『美しきエレーヌ』序曲
- フォーレ:組曲『ペレアスとメリザンド』
- シャブリエ:狂詩曲『スペイン』
どこの国の音楽を演奏するときでも、オーケストラは、常に美しく高鳴らなければなりません
1978年の夏にスイスを訪れた志鳥栄八郎に、スイスの音楽関係者のひとりが、こう言ったとのことだ。「いまスイスの音楽界は、太陽が沈んで、暗闇の状態です。」この太陽がエルンスト・アンセルメであることはいうまでもない。これほど、生前のアンセルメの存在は巨大だったし、その功績も、はかりしれないものがあったのである。だからこの、アンセルメ没後10年を記念して、ジュネーブで“アンセルメ国際指揮者コンクール”が開かれるようになった。
アンセルメは、1883年にスイスのヴェヴェイで生まれ、1969年の2月に、86歳の天寿をまっとうした、スイスの誇る世界的な大指揮者である。青年時代に数学を学んだが、その後、指揮者の道を選び、1918年にスイス・ロマンド管弦楽団を創設し、1968年の秋に勇退する約50年の間に、このオーケストラの実力を世界的な水準にまで引き上げたのであった。ひとりの指揮者が、約半世紀も同じオーケストラを指揮するということは、驚倒すべき記録で、歴史上、まだ数人しかその例を見ない。アンセルメにとって、スイス・ロマンド管弦楽団は、まさに、自在に演奏できる“愛器”のようなものだったのである。
彼は、世紀のバレエ興行師と言われたバレエ・リュッスの主宰者ディアギレフと親交を結んでから、ドビュッシー、ラヴェル、オネゲル、マルタンらとも親しくなり、こうした一流の作曲家たちの作品を、数多く初演している。こうしたところをみても、この巨匠の体には、近代・現代音楽の歴史が、深く彫り刻まれていたといってよい。
アンセルメは、フランス、スイス、イタリア、スペイン、ロシアの音楽を得意としていたが、ドイツ音楽にも深い理解を示していた。そして、これらの音楽を、いつも客観的な態度で見つめ、精密な設計で組み立て、表情豊かに、しかも光彩陸離にまとめあげるのを得意としていた。
彼は、2度来日しているが、亡くなるわずか半年前の1968年の夏に来日した時、アンセルメと京都を旅した志鳥は、その時アンセルメが語った、「ラテン系の音楽とゲルマン系の音楽とでは、もちろん、音楽の内容も、また響きも、大いに違います。しかし、どこの国の音楽を演奏するときでも、オーケストラは、常に美しく高鳴らなければなりません」といった言葉を、思い出すということだった。このように巨匠は、いつも〝美しい響き〟を追究していた人なのであった。
https://recordsound.jp/images/item/w270/24400/24368_1.jpg
August 30, 2021 at 03:30AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1147533.html
via Amadeusclassics
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