スキップしてメイン コンテンツに移動

この名曲の最高の名盤 カラヤンにも愛された天才が吹いた天才の音楽 モーツァルト〜ホルン協奏曲第1番より第1楽章

死後の今日に至るも、世界中で最も卓越した天才ホルン奏者ブレインのモーツァルト

GB COL CX1140 デニス・ブレイン モーツァルト・ホルン… ベストセラーのモーツァルトの協奏曲です。ホルン奏者の中でも、いまだに別格的存在とされるブレイン。絶妙なフレージングとスケール感、驚くほどしなやかな音色、テンポに対する感覚とメロディの歌わせ方、どれをとっても現在まで語り継がれる理由のわかる、20世紀を代表する名手の快演です。サポーターとして世界では誰の追随をも許さないカラヤン、若き日のバックアップもこれまた聴きどころで、ブレインの息づかいに合わせた音楽の創生が素晴らしい結果を生み、時代を超越した名演が繰り広げられています。
 カラヤンは2種類の「モーツァルトのホルン協奏曲全集」を録音しています。2つとも名盤として知られています。後のザイフェルト、ベルリン・フィルとの録音は非常に豪華でしなやかな演奏です。この録音で注目すべき点は個性的な若い2人の天才、つまり、ブレインとカラヤンです。ブレインはホルンを、カラヤンはフィルハ-モニア管弦楽団をそれぞれ若さのかぎりぶつけあっています。録音から60年以上経っても管楽器奏者を目指すもの、すべてのホルン奏者が憧れる完璧なモーツァルトです。
1953年11月12〜13日ロンドン、キングズウェイ・ホールでのセッション・モノラル録音。

 傑出した優性遺伝の例に挙げられるのがバッハ一族だが、演奏家にも当てはまる例がある。イギリスのホルン奏者デニス・ブレイン(1921〜1957)の家系は、3代にわたって5人の名手を輩出したホルン一家だった。17歳でデビューすると同時に名声は広まり、ロンドンのオーケストラの首席奏者を務めながら、ソリストとしても大活躍。1950年代、カラヤンの手兵だったフィルハーモニア管弦楽団のメンバー中、ただ一人ファーストネームで呼ばれて、その才能を愛されたのがブレインだった。デニス・ブレインにとってホルンを吹くことは我々が呼吸をするのと同じぐらい、あたかも「普通のこと」だったように感じます。

フィルハーモニア管弦楽団の傑出したホルン奏者
 デニス・ブレインは芸術性とテクニックの両面で当代最も優れたホルン奏者であった。1938年、ロンドン、クイーンズ・ホールにおけるブッシュ室内合奏団の演奏会で初デビュー、戦時中はイギリス空軍中央音楽隊(RAF)に在籍した。その後、ソリスト、室内楽奏者として活躍する傍ら、フィルハーモニア管弦楽団の首席ホルンを10年以上にわたって勤めた。デニスのために書かれた作品も多く、代表的なものとしてブリテンの《テノール、ホルンと弦楽のためのセレナード》、エリザベス・ラトイェンズ、ゴードン・ジェイコブ、パウル・ヒンデミットらによる協奏曲がある。

 遺伝による才能は伸びないとも言われるが、デニスは父オーブリーを越えた名人であった。その秘密は丸みを帯びた音で、決して失敗せず、旋律をレガートでチェロ奏者のようにゆったりとしたカーヴを描いて吹くことができた。スタッカートによるパッセージも巧い。いかに速い旋律でもあざやかで息継ぎのムダが無い。その音色は凝縮され、無理なく力みがない。デニスの唇はまるでピアニストの指のように敏感なタッチを持っていた。シュトラウスのホルン協奏曲の速いパッセージでのほとばしるようなユーモアは忘れがたい。

 ホルン奏者というものはヴィルトゥオーゾやソリストとしての才能を示す機会に必ずしも恵まれない。あくまでオーケストラの一員であることを第一にしなければならず、もしその中で個人プレーに走れば、全体のバランスが失われる。しかしブレインはどんな場合でもオーケストラという組織の平衡感覚を崩さない。彼は音やその調合に対応する天性の音楽家の耳を持っていた。オーケストラとの調和のとれた演奏では、デニス・ブレインは天才であった。恐らく彼の残した録音では無類のモーツァルトのホルン協奏曲がベストだろう。

GB DEC LXT2941 ピアーズ&ブレイン ブリテン・テノ… ブレインのややメロウな美しい響き、完璧なテクニックの演奏は“神業”と讃えられ、カラヤンは自ら買って出て、モーツァルトのホルン協奏曲全集録音の共演者を務めたほどだ。
 ブレインは、1957年9月1日の早朝、車を運転してロンドンに戻る途中、樹木に激突して即死。“神々しいほど美しい”と愛されたホルンの響きは、この世から消えた。

https://recordsound.jp/images/item/w270/18200/18176_1.jpg
June 29, 2021 at 11:05PM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1142608.html
via Amadeusclassics

コメント

このブログの人気の投稿

♪東側の最高傑作◉フランツ・コンヴィチュニー ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ベートーヴェン・交響曲7番

楽譜に対して客観的に誠実に取り組んで、ゆったり目のテンポでスケール大きく描きあげられた演奏と存在感あるゲヴァントハウスの音色 《独ブラック銀文字盤》DE ETERNA 825 416 コンヴィチュニー ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ベートーヴェン・交響曲7番 旧東ドイツ時代のベートーヴェン演奏の精髄として当時大きな話題となった全集からの一枚。ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターを終生務めたコンヴィチュニーの最高傑作で、重心の低い質実剛健な演奏は今もってひとつの基準となる名演と言えます。 序奏からズドンとヘビィ級の音塊をぶつけてきます。 ― しかし野暮ったくはない。序奏が終わっても、一切慌てず騒がず。この辺、フランツ・コンヴィチュニーならではの堂々とした音楽作りが堪能できます。 言うまでもないことですがベートーヴェンが250年前に作ったスコアを録音が発明された20世紀から以降の、120年間ほどの演奏を私たちは聞き返している。名指揮者パウル・ファン・ケンペンが死去した後、志鳥栄八郎が「あれほど騒がれていた彼が、いまそうでなくなった。演奏家というのは死んだらおしまいだ」と言っていた。とはいえ名演奏家が死後、レコードで聴き継がれるケースも有る。 どんなに録音技術が進んでも、それは生の姿を十全には伝え得ないが、演奏家の音をいたずらに増幅・美化させることも出来てしまうのが録音技術でもある。ドイツの伝統を継承する巨匠コンヴィチュニーのベートーヴェンは、彼の至芸を愛でる者にとっては格別のレコードです。 聞き手の耳をさっと捕まえてしまうような魅力には乏しいかもしれません。聞き手の耳をすぐに虜にするような愛想の良さや声高な主張もありません。まず、すぐに気がつくのは、今ではなかなか聞くことのできなくなったふくよかで暖かみのあるオーケストラの響きの素晴らしさです。きらきらした華やかさとは正反対の厚みのある響きです。弦もいいですが、特に木管群の響きが魅力的です。確かに、昨今のオーケストラと比べれば機能的とは言えないのでしょうが内部の見通しも良く透明感も失っていません。とは言え、コンヴィチュニーの基本は「淡麗辛口」です。 ドンと構えていて、ここぞというところではぐっと力こぶが入る「野蛮さ」みたいなモノが残っている演奏。隅々まで指揮者の指示が行き届...

10月17〜23日は229記事を新規投稿しました。

2022.10.17-23 クラシック音楽365日 大作曲家の生没日。名曲のゆかりの日。 10/17 作曲家・ショパンが生まれた日( 1810 年)。ポーランドで生まれるも、 21 歳でパリへ亡命し 39 歳で亡くなるまでパリで過ごした。同時代の作曲家はシューマン、リスト、ベルリオーズらである。現代でも、《夜想曲第 20 番 嬰ハ短調(遺作)》など、ピアノ作品を中心に、その演奏機会はとても多い。 2005 年の第 15 回コンクール以降はインターネットで映像がリアルタイム配信されている。 2020 年に開催予定だった第 18 回は、新型コロナウイルスの影響で翌 2021 年 10 月に延期された。 10/18 フランスの作曲家、シャルル・グノーが没した日(1893年)。ゲーテの戯曲を元にしたオペラ《ファウスト》や、歌曲《アヴェ・マリア》でも知られる。グノーがオルガニストを務めていたサン・トゥスタッシュ教会には、画家のルノワールも所属していた。グノーはルノワールの歌手としての才能を見出し、両親にルノワールをオペラ座の合唱団に入れることを提案したが、断られたという逸話も残っている。 10/19 ワーグナーのオペラ「タンホイザー」がドレスデン歌劇場で初演された(1845年)。ワーグナー32歳の頃の初期の作品であり、のちの総合芸術としての「楽劇」が生まれる前の作品である。当時初演は失敗に終わり、その後「タンホイザー」は何度も改定が加えられることになった。 10/20 アメリカの作曲家、チャールズ・アイヴズが生まれた日(1874年)。今では交響曲など、ヨーロッパをはじめ広く世界で演奏される。その経歴はユニークで、本業は保険会社の副社長。作曲は「趣味」で続けいたものの、マーラーやシェーベルクにも才能を認められ、晩年になってから注目を集めるよに。作品は実験精神に富みながらも郷土色の豊かな旋律を併せ持つ。 10/21 オーストリアのワルツ王ヨハン・シュトラウス2世作曲の《皇帝円舞曲》が、ベルリンのケーニヒツバウという新しいコンサートホールのこけら落としのために初演された日(1889年)。作曲者自身の指揮で行われた。 10/22 スペイン・カタロニア地方に生まれた今世紀最高のチェリストと呼ばれている、パブロ・...

覇王の誕生◉カラヤン ベルリン・フィル フィルハーモニア管 チャイコフスキー 交響曲4番/5番/6番

通販レコードのご案内 天に届きそうな金管、内臓をえぐるような弦、ズシリとした打楽器。 《エヴァークリーン盤》JP 東芝音楽工業(赤盤) AA7650-1 カラヤン/フィルハーモニア/ベルリン・フィル チャイコフスキー三大交響曲  初めてチャイコフスキーを聞くことに取り組むのなら、カラヤンがいい。凡百の指揮者が陥りがちな甘美なメロディだけに酔うような演奏ではなく、豪快でありながら各楽器の動きを丁寧に描ききった第4番、シンフォニックで華麗、かつ情熱的な第5番、そして『悲愴』は美しいメロディに秘められた翳りの感情が見事に表現されています。  カラヤンがどういう音楽家だったかは、チャイコフスキーを聴くと良い。カラヤンはチャイコフスキーの後期交響曲を何回も録音していますが、有名なのはダイナミックな1971年録音(EMI)、研ぎ澄まされた集中力で聴かせる1966年録音(DGG)か。本盤はステレオ初期のベルリン・フィルとの「第4番」初録音。当時のベルリン・フィルの濃密で滑らかな響きが魅了する。  カラヤンのチャイコフスキーの交響曲第4番は、フィルハーモニア管との1953年盤を筆頭に、ベルリン・フィルとは15年間で4回の録音(COLUMBIA〔EMI〕1960年、DGG1966年、EMI1971年、DGG1976年)とひしめき合っている。   戦前、戦中、戦後と、カラヤンの行く手をことごとくさえぎっていた音楽界の巨人フルトヴェングラーが、1954年11月に急逝する。これはクラシック音楽界の〝桶狭間〟だった。翌年の2月に迫った歴史的なアメリカ公演で自分たちを統率してくれる指揮者を失ってベルリン・フィルは焦った。このときドイツ政府からベルリン・フィルは、今回のアメリカ公演は絶対に成功させよと言明されており、もし病身のフルトヴェングラーに何かが起きた場合に備えてこの巨人に代わる恥ずかしくない指揮者を用意しておかなければならなかった。ベルリン・フィルは入院中の主には内緒でカラヤンに代行のアポイントを取っていた。そして不幸にも主は病死し、ベルリン・フィルはアメリカ公演の指揮者代理にカラヤンを選んだ。 「万一フルトヴェングラーの身に何か起きたときは」という条件を、カラヤンは「フルトヴェングラー博士の後継者という条件で!」と受け取り、「首席指揮者」ではなく、アメリカ楽旅の前に「終...