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ドイツ・チューリップ*臓腑を抉られる ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル チャイコフスキー・交響曲4番

通販レコードのご案内オーケストラのサウンドの威力がダイレクトに伝わってきます。

DE DGG SLPM138 657 ムラヴィンスキー/レニングラードフィル チャイコフスキー 交響曲第4番《独チューリップ made in Germany 170グラム重量盤》DE DGG SLPM138 657 ムラヴィンスキー、レニングラード・フィル チャイコフスキー・交響曲4番 録音後50年を経ても失われぬ演奏の生命力 ― チャイコフスキーの後期3大交響曲のスタンダードとして、一頭地を抜けた決定的名盤。コントラバスまでピタリと揃う鍛え抜かれた高度なアンサンブル、金管群のロシア的で強烈な咆哮など、臓腑をえぐられるような凄絶なクライマックスが聴き手に迫ります。西側オーケストラ関係者を畏怖させた凄腕指揮者とオーケストラのサウンドの威力がダイレクトに伝わってきます。
 ムラヴィンスキーは、生涯で演奏会の記録に残っている総演奏会数は実に133回に及びます。レニングラード・フィルは、1956年6月の訪欧時にもドイツ・グラモフォンにチャイコフスキーの後期交響曲をモノラルで録音していますが、この時は、ムラヴィンスキーは第5番と第6番《悲愴》のみで、第4番はクルト・ザンデルリンクが担当していました。
 1960年の秋、ムラヴィンスキーはレニングラード・フィルを率いてイギリス、フランスをはじめとした7カ国を巡り34回の公演を持ちました。この機会をとらえ、ドイツ・グラモフォンはチャイコフスキーの後期交響曲3曲の録音を実施、ツアーの最初の公演国イギリス、エジンバラでの演奏会のあとロンドンで交響曲第4番が収録され、ツアーの最後の地となったウィーンでの演奏会の後、第5番と第6番《悲愴》が収録されました。
 前回の録音から4年しか経っていないにもかかわらずドイツ・グラモフォンが再録音に踏み切ったのは、1950年代後半に導入された新しくステレオ技術によってステレオ・レコードを発売したいという点と、第4番を首席指揮者であるムラヴィンスキーの指揮で残しておきたい、という強い希望があったためでしょう。
 特筆すべきは、レニングラード・フィルの通常の古典配置と異なり、L→Rチャンネルで、弦楽器を第1ヴァイオリン→第2ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロ→コントラバスというモダン配置にしている点です。ムラヴィンスキーのステレオ録音でこの配置を採用しているのはこの盤だけです。
 第4番はロンドンのウェンブリー・タウン・ホール、第5番と第6番はウィーンのムジークフェラインザールという、いずれも音響には定評のある会場で収録されている点が大きなポイントです。この時期のドイツ・グラモフォンのサウンドらしい、コンサートホール的な奥行き感がそなわった名録音です。
1960年9月14~15日ロンドン、ウェンブリー・タウンホール、カール=ハインツ・シュナイダー、ハラルト・バウディスの優秀録音、名演、名盤。

通販レコード詳細・コンディション、価格

Jewgenij Mrawinskij, Leningrader Philharmonie – TCHAIKOVSKY ‎– Symphonie Nr.4 – Deutsche Grammophon

プロダクト

レコード番号
SLPM138 657
作曲家
ピョートル・チャイコフスキー
オーケストラ
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
指揮者
エフゲニー・ムラヴィンスキー
録音種別
STEREO
made in Germany チューリップとしては ALLE に続く2版, STEREO 1枚組(170g)重量盤。

販売レコードのカバー、レーベル写真

  • DE DGG SLPM138 657 ムラヴィンスキー/レニングラー…
  • DE DGG SLPM138 657 ムラヴィンスキー/レニングラー…

クラシック音楽のレコードのステイタス、イエロー・レーベル

 ドイツ・グラモフォンは、1898年12月にドイツ・ハノーファーで創設された、世界でもっとも長い歴史を持つクラシック音楽のレコードレーベルである。「イエロー・レーベル」と呼ばれている。
 1897年に蓄音機「グラモフォン」の製造・販売を行っていたベルリーナ・グラモフォン社のヨーロッパ進出のため、ロンドンに「英グラモフォン」を設立する。創設者は、円盤レコードの発明者でもあるエミール・ベルリナーである。1898年ドイツのハノーファーに工場を設立する。これがクラシック音楽のレーベル「ドイツ・グラモフォン」の始まりである。第一次世界大戦の勃発によって、英グラモフォンのドイツ支社であった「ドイツ・グラモフォン」がドイツ資本の会社となったため新レーベル「エレクトローラ」を設立する。
 現在はフランスのヴィヴェンディの傘下にあり、ドイツ・グラモフォン(DGG)のほか、英デッカ(「ロンドン」)、オワゾリール、アルヒーフ(バロック音楽を中心とする古楽の専門レーベル)などを擁する。

ドイツ・チューリップ
黄色地に黒文字。リムが白と青のチューリップ(百合)で囲まれたもの。チューリップラベルでも時代によって、2つに分けられます。
初期の盤では、チューリップの内側の著作権に関する注意が時計で1時の位置から右回りに" ALLE … "の文章で始まるものです。この Tulip ラベルは番号順イコール年代順とはかぎらないため番号で区切りをつけるのは非常に困難です。

コンディション

ジャケット状態
M-
レコード状態
M-
製盤国
DE(ドイツ)盤

通販レコード












詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。
オーダーは 品番 / 34-25639
販売価格 12,100円(税込)
「クレジットカード決済」「銀行振込」「代金引換」に対応しております。


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April 30, 2021 at 07:00AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1141532.html
via Amadeusclassics

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