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民衆の畏敬が伝わってくる★文句なしに美しい叙情劇の世界 ケンペ指揮ウィーン・フィル ワーグナー・ローエングリン

オペラ入門の第一歩に ― 白鳥の騎士の物語にふさわしい高貴さと神秘性を兼ね備えた最高の名盤。

 ルドルフ・ケンペはオーボエ奏者でもあったことから、内声部に沈みがちな木管楽器をセンシティヴに鳴らす独特のバランス感覚を持つ指揮者だった。ジェス・トーマスが歌うタイトルロールが、身分を証す「ローエングリンの名乗り」は気品高く聴いていて身震いする。それも歌の背景でのウィーン・フィルの繊細を極めた美しいサウンドが、その場に居合わせた民衆の心の震えを感じ取らせてくれる、手応えに満ちたドラマを描き出している。
 ケンペの特長は正統的、標準的な演奏で、しかもオーケストラは十分歌っている。ドイツ人らしく重厚で、しかも若々しい力もある。ただ聴衆をうならせる圧倒的な個性の迫力が乏しい。当時の日本でのレコード批評の関心事には向かなかったようだ。だが、歌劇場での活動に支えられた劇的表現といった積極的要素に富んでいて説得力の高いものです。
 ケンペは会った相手がイギリスの女王であっても、タクシーの運転手であっても、誰でも、その物腰の柔らかい丁寧な応対は変わらず、また若い音楽家に対しても常に真剣で優しかったために、ジェネレイション・ギャップなども感じさせなかったと言われている。そのような人柄であったため、晩年になって、ようやく花が咲いたのには、ある程度うなずけよう。

各声部の透明で豊かな響きと冴えたリズム感が際立った演奏だ。

DE EMI 1C161-0001721 ルドルフ・ケンペ ワーグナー・ローエングリン《独カラードッグスタンプ盤》DE EMI 1C161-0001721 ルドルフ・ケンペ ワーグナー・ローエングリン 名匠ルドルフ・ケンぺの代表作と言っていい盤が、本盤であろう。ケンペは、ウィーン・フィルからシルクの様に繊細で美しく、且つ雄大で力強い音楽を引き出している。それは、まさに「ロマンティック・オペラ」の真髄を表しているといると思う。
 特異なドイツ系の指揮者を探していた英EMIが飛びつくのも当然と云えば当然です。そして、歌手陣も豪華ラインナップであり、ローエングリンを代表する名演であり名盤である。

リヒャルト・ワーグナーは1813年、ドイツのライプツィヒに生まれた。彼の父親は警官だったが、ワーグナーが生まれて半年後に死んでしまい、翌年母親が、俳優であったルートヴィヒ・ガイヤーと再婚した。
 ワーグナーは、特別楽器演奏に秀でていたわけではなかったが、少年時代は音楽理論を、トーマス教会のカントル(合唱長)から学んでいた。これが後の彼の作曲に大きな役割を果たすことになる。23歳の時には、マグデブルクで楽長となり、ミンナ・プラーナーという女優と結婚した。1839年ワーグナー夫妻はパリに移り、貧困生活を味わった後、彼のオペラ「リエンティ」の成功で、ザクセン宮廷の楽長となった。しかし幸せは長く続かず、ドレスデンで起こった革命に参加した罪で、彼は亡命を余儀なくされる。
 スイスに逃れた彼は、友人の助けで作曲を続け、1864年、やっとドイツに帰国することが出来た。とはいえ、仕事もなく、彼は借金まみれになってしまった。そのときバイエルンの国王で彼の熱烈な崇拝者だったルートヴィヒ2世が救いの手を差し伸べてくれた。彼らの友情は長続きしなかったが、その後ワーグナーはスイスに居を構え、1870年リストの娘であるコジマと再婚し(ミンナは少し前に死去)、バイロイト音楽祭を開くなど世界的な名声を得た。
 彼のオペラはそれまで付録のようについていた台詞を音楽と一体化させるという革命的なもので、多くの作曲家に影響を与えた。しかし、第2次大戦中ナチスによって彼の作品が使用されたため、戦中戦後は正当な評価を受けることが出来なかった。


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via Amadeusclassics

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