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古典的な造形とロマンティシズムが傑出 カルロ・マリア・ジュリーニ フィルハーモニア管 ブラームス 交響曲全集

通販レコードのご案内深いロマンを漂わせたブラームスの美しい世界

DE EMI SLS5241 ジュリーニ・フィルハモニア管 BRAHMS Samtliche Sinfonien Tragic Overture Haydn Variation
DE EMI SLS5241 BRAHMS Samtliche Sinfonien Tragic Overture Haydn Variation
(演奏者)カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(曲目)ブラームス 交響曲全集

交響曲第4番のみ1968年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団に組織再編がなってからの録音セッション、残りは1961年に行われたセッション、初出はCOLUMBIA盤ブルー&シルヴァー SAX2***。裏面説明からして1979年頃プレス工場の拠点をドイツに移行してから全集にまとめたものと思料される。レッグ管弦楽団とも揶揄されるニュー・フィルハーモニア管の実力に、魅了されてしまう。カラヤン、クレンペラーというマエストロが傾倒していたのが頷けます。


ミラノ・スカラ座やロンドン王立コヴェント・ガーデン音楽院でオペラ指揮者として名声を決定した後、1959年からフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者となるが、1961年に常任となって1964年の改組によりニュー・フィルハーモニア管弦楽団と改称してからもクレンペラーとともにこのオーケストラを指揮してきた。1969年にシカゴ交響楽団の常任客演指揮者に迎えられ、ジュリーニはブラームスの交響曲第4番をEMIレーベルでシカゴ響とさっそく録音している。1970年代からショルティやジュリーニとの指揮で黄金時代を築くシカゴ響であるが、この1969年の時点で既にすさまじかった演奏を聴かせてくれる。さらに1970年代から1980年代後半までがドイツ・グラモフォン・レーベル、そして1980年代後半からはソニー・クラシカル・レーベルでブラームスの交響曲全集の録音を行ってきた。それほどブラームスの音楽がジュリーニの性に合っていたと言うことなのでしょう。


ジュリーニを知ったのは1970年代後半で、シカゴ交響楽団との「展覧会の絵」(1976年録音)、ロストロポーヴィチとのドヴォルザークのチェロ協奏曲(1977年)といったところが、レコード芸術の裏表紙で新譜広告として、推薦文に興味惹かれてレコード店で手にとったのが、そのはじめだったと思います。ゆったりとしたテンポでたっぷりとオーケストラを鳴らす演奏スタイルは、西洋で育まれた豊かなクラシック音楽を聴いているというエレガントな満足を感じたものでした。ちょうど、その時期に度々来日してNHK-FMで演奏会が生中継されて、生放送の ― 当時のラジオ放送は、ステレオ番組は九州ではコピーのテープで放送されていたのでヒスノイズがつくので ― リアルなステレオ音に興奮させられたカール・ベームが87歳の誕生日直前で亡くなり、その喪失感の代わりになるものとして、ジュリーニには期待したものです。その後も幾つかの音盤を聴きましたが、「フォーレのレクイエム」、「ブラームスのドイツ・レクイエム」、「ドビュッシーの海」は今でも、当時購入したCDがライブラリ・ラックの顔にとどまっていますが、しかしながら、よりいっそう遅くなるテンポに ― 名曲交響曲となると、友人に紹介するときには条件付きで薦めないといけないもどかしさのようなものも感じることもあって両手を挙げられなくなっていきました。


ジュリーニは1914年5月9日、イタリア南部のバルレッタ生まれで、47、48歳頃の1961年に、1、2、3番の交響曲を録音しており、4番はそれからしばらく間をおいた1968年の録音で、ジュリーニ54歳の録音となります。「重厚なカンタービレ」と評する向きもあるのですが、晩年の指揮ぶりにつながるものはすでにあって、モーツァルトの交響曲でさえ、清澄な明るい、しかし厳しさの在るダイナミック、粘りのあって靭やかなリズム、こころをこめて豊潤に歌われるメロディー、アルプスの峠を超えて南の風を身に受けたモーツァルトといった趣きの演奏を聴かせてくれましたが、オーケストラの統率力と表現力に秀でた指揮ぶりで、古典的な造形とロマンティシズムが傑出していることで知られている、ブラームスの作品が持つ重厚さを持ちつつもメロディをたっぷりと鳴らす、音の線を大切にしています。全体に湛えられた高貴な詩情も味わい深く、聴く人を魅了してやみません。ブラームスが晩年に到達したこの美しい世界を、ジュリーニは透徹した意思力をもって、深いロマン漂わせながら見事に表出しています。どっかりとした重みを感じる演奏は、晩年ほどの重みではありませんが、翻せば、大器となる資質を、この録音を行ったイギリスEMIはすでに見抜いていたということでしょう。


晩年1989年~1991年のテンポをたっぷりと取って、香り豊かなブラームスを堪能できるウィーン・フィルとの録音と比べれば、フレッシュな、溌剌とした演奏で、いくらかは速めのテンポ設定ではありますが、粘液質的なブラームスの音楽にアプローチしている。第1番の立ち上がりから独特で、冒頭のフレーズを長いクレッシェンドを掛けて丁寧に音を鳴らしている。楽器の響きのバランスが良く、弦の音を前面に出し、けだるさが漂う。初演のときから第4楽章のテーマが、ベートーヴェンの第9と似通っていることが指摘されていました。この作品には色濃くベートーヴェンの姿が影を落としています。最終楽章の音楽の流れなんかも第9とそっくりです。それに対して、ブラームスは、「そんなことは、聞けば豚でも分かる!」と言って、きわめて不機嫌だったようです。ベートーヴェンは神になったような視点で、人類愛を歌いますが、ブラームスの音楽は個人に属するレベルです。ブラームスが、自らも交響曲を書こうと思い立ったのは、22歳の時にロベルト・シューマンの『マンフレッド序曲』を聴いてからで、ブラームスにとって交響曲を作曲するということは、ベートーヴェンの影を乗り越えることを意味していました。ビューローへの手紙には「ベートーヴェンという巨人が背後から行進して来るのを聞くと、とても交響曲を書く気にはならない」と書かれている。また、当時の聴衆にもベートーヴェンの交響曲を正統的に継ぐ作品を待ち望む者が少なからずいた。それだけに、この第1番の完成までには大変な時間を要しています。彼がこの作品に着手してから完成までに要した20年の歳月は、言葉を変えればベートーヴェンの影がいかに大きかったかを示しています。そうして完成したこの第1交響曲は、古典的なたたずまいをみせながら、その内容においては疑いもなく新しい時代の音楽となっています。ジュリーニは小細工しない。第4楽章ではティンパニを意識的に鳴らした後、ヴァイオリンでこの主題を優しく、慈愛に満ちた表情でたっぷりと弾かせる。クライマックスでも決してテンポを速めて煽ることなく、あくまで一定のテンポで作品に向き合っている。


第2番、第3番は、オーケストラの楽器間のバランスが良い。優雅さと引き締まった緊張感の両方を併せ持ち、素晴らしい。ここに聞ける音楽は疑いもなくロマン派の音楽そのものです。第4番もバランス感覚が優れている。金管楽器がはっきりと鳴らされているのが特徴で、遅めのテンポながらしっかりとメリハリが効いた演奏となっている。吉田秀和氏が、力みかえった青春の澱のようなものを感じると書いていていたブラームスの音楽とは、もはや神をたたるものでなく、人類の偉大さをたたえるものでもなく、一人の人間を見つめるものへと変化していった時代の交響曲です。当時はワーグナーやリストといった新ドイツ楽派の作曲家は交響曲を古臭い形式と考え、それぞれが楽劇や交響詩といった新たなジャンルを開拓していた。交響曲第4番の初演は、1885年。ブルックナーは交響曲第7番を完成。ロンドン・フィルハーモニック協会の委嘱で作曲された、サン=サーンスの「オルガン付き」は1886年5月19日の初演。フランクの交響曲の初演は1889年2月17日、1890年12月にショーソンの交響曲が完成された。そして、マニャールが最初に完成させた交響曲の初演は1893年に行われた。100人近い演奏者数が要求されており、ブラームスもかくやと思われるほど重厚感ある響きを実現させているとともに、ドヴォルザークの「新世界」交響曲の先鞭をつけている。


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