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春がきた オイストラフ&スターン、オーマンディ指揮フィラデルフィア管 ヴィヴァルディ&バッハ ヴァイオリンのための協奏曲

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FR PHIL L01.239L オイストラフ&スターン・オーマンディ・フィラデルフィア管 VIVALDI/BACH CONCERTO POUR VIOLIN《仏ダーク・レッド Minigroove 盤 豪華仏蘭西製厚紙見開きジャケット》FR PHILIPS L01.239L オイストラフ&スターン・オーマンディ・フィラデルフィア管 ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリンのための協奏曲イ短調 RV.522、J.S,バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV.1041、第2番ホ長調 BWV.1042 VIVALDI/BACH CONCERTO POUR VIOLIN 豊麗かつ芳醇なフィラデルフィア管の弦楽パートの特質を余すところなく捉えたLP初期の名盤。イ・ムジチが一世風靡したバロック音楽を受けて立った巨匠たちの風格を聴こう。二人の巨匠が同時に颯爽と登場する瞬間はゾクッと肌の毛が逆立ってしまうほどの感動を覚えます。オイストラフは全体のバランス感が素晴らしい。音やフレージングも安定していて無理に尖った演奏をしない曲の真っ直ぐな美しさ溢れる名演。太くて深々としたオイストラフ、輝くように躍動するスターン。オーマンディが率いるフィラデルフィアサウンドの美麗な弦楽アンサンブルの音。東西両巨匠のオイストラフとスターンが第1、第2番のヴァイオリンを交互にソロをとっている、まさに夢の競演というにふさわしい演奏。二人の演奏スタイルの違いを聴き比べることも興味深いものですが、なによりも両巨匠の貫禄がせめぎ合い切磋琢磨(せっさたくま)し、驚くべきことに長年共演してきたかのように息の合った演奏を聴かせます。そして、協奏曲の伴奏が巧いオーマンディだけに2人のヴァイオリニストの長所を引き出す名人芸は実に素晴らしい。バロック音楽のオーセンティシティよりも、フィラデルフィア管弦楽団の充実したストリング・サウンドの魅力と凄さを伝えるアルバムで、LP時代から名盤の誉れ高いアルバムです。
1955年12月14日、フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージックでの録音。


http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-24171.jpg
May 27, 2020 at 11:30PM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1121168.html
via Amadeusclassics

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