スキップしてメイン コンテンツに移動

ロマンティック ― ロマン主義の白鳥の歌とされるブルックナーの音楽と、前世紀のロマンの名残をとどめたワルターの音楽

通販レコードのご案内ワルターの、終始優しい眼差しもった明るい響きはロマン的 ― と題されるこの曲に相応しいものです。

US COL M2S 622 ワルター ブルックナー・交響曲4番「ロマンティック」
US COLUMBIA M2S622
(演奏者)ブルーノ・ワルター指揮 コロムビア交響楽団
(曲目)ブルックナー 交響曲4番「ロマンティック」、ワーグナー 歌劇「タンホイザー」序曲とヴェヌスベルクの音楽

米国初期盤。ブルーノ・ワルターがその最晩年に、録音用に特別編成されたコロムビア交響楽団と録音した歴史的名盤です。終始優しい眼差しもった明るい響きで「ロマンティック」を完全に演奏した名盤です。ブラスの輝き、弦の艶、内声部の明確さなど鮮烈な音で再現されていきます。


80歳で現役を引退後、ワルターから見ると孫の世代のような30歳代のジョン・マックルーアの強引な説得で、彼の意匠をステレオ録音すべく専属のオーケストラ、所謂コロムビア交響楽団が結成され、本セットは1958〜59年に集中的に製作された。その後、彼の死の年まで約5年間にわたり録音プロジェクトが続けられた。ワルターの遺言的産物である。


ブルックナーの最初の成功作となった《交響曲第4番》の特徴は、彼自身が付けた「ロマンチック」という副題が雄弁に語っている。これはドイツの奥深い森で味わう神秘的な感情をあらわしており、ベルリオーズやリストのような標題音楽と誤解されてはならない。ベートーヴェンの「田園交響曲」と同じように、ブルックナーの大自然に対する限りない愛情を盛り込んだもの、とでも思えば良い。そこには自然への憧れ、「遠い昔」への郷愁、神秘的幻想などが込められており、時代を超えて、私たちをそうした世界へと誘ってくれる。しかしブルックナーは無邪気にも、そういった誤解を招くような説明を、この交響曲に加えている。一種のこじつけであろうが彼は、この曲の第1楽章をワーグナーのローエングリーン第2幕に出てくるような中世の情景画として説明している。自筆譜の作曲家自身の書き込みは物語的だ。「中世の町 ― 夜明け ― リンツの教会の塔から朝を知らせるラッパが吹かれる」 ― 朝霧を思わせる〝ブルックナー開始〟から、のどかなホルン独奏の第1主題が登場。夜が明けるようにクレシェンドした後、〝ブルックナー・リズム〟の副楽想が登場する。「目覚めた町の門が開かれ、馬に乗った騎士たちが野外へと駆け出す ― 森のささやき」 ― 2つの旋律が同時に歌われる第2主題は、ブルックナーが生まれ故郷の上部オーストリアでよく聴いた「チチチッ」というヤマガラの鳴き声に由来している。ホルンとテューバなどが力強くブルックナー・リズムを吹き下ろすと、それが第3主題である。深い深い霧の中から、何かが次第に姿を表してくるかのような、こうした手法はブルックナー一流のもので、これを称して俗に「原始霧」といっている。彼の他の交響曲によく見られるミサ曲からの旋律の引用が全く無く、明るくまたやわらかな変ホ長調がとられ、0番から3番までの交響曲に見られた悲劇的、あるいは神秘的な雰囲気から脱したオプティミスティック、あるいはロマンティックなものが感じられる。ブルックナーの音楽には、いたるところに素朴なオーストリアの風光が潜んでいるのだ。


ワルター盤はオーケストラの響きがやや薄手で明るすぎるのが欠点だが、ブルックナーの世界に陶酔しながらも、一点一画も疎かにせず、精緻に優麗に田園的情緒を豊かに描き出している点が素晴らしい。ブラスの輝き、弦の艶、内声部の明確さなど、鮮烈な音で再現されていきます。ロマン主義の白鳥の歌とされるブルックナーの交響曲と、前世紀のクラシック音楽のロマンの名残をとどめたワルターの音楽。「ロマンティック」をワルターは輝かしい響きで完全に演奏した名盤です。


米国コロムビアの発祥は1930年に設立されたコロムビア・アーティスツ・マネージメント・インクという会社で、ユダヤ系資本が大株主で音楽界に絶大な力を及ぼしていることについては色々と書かれていることもあり、ユダヤ系のレナード・バーンスタインや同時並行して1950年代後半から引退中だったこれまたユダヤ系のワルターの起用したことは周知の事実。モノーラルからステレオの普及黎明期ということもあり、純粋に彼らの仕事を後世に伝えようとする熱意から発展した。なんであれ、こうして大指揮者の最晩年に多くの美しい録音がモノラル・セッションとステレオ両方とで残されたことは幸いでした。

1960年2月13,15,17,25日カリフォルニア・ハリウッド、アメリカン・リージョン・ホール、ジョン・マックルーアによる録音。ブックレット付属、優秀録音、名演、名盤。


http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-23166_1.jpg
April 26, 2020 at 07:15PM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1115582.html
via Amadeusclassics

コメント

このブログの人気の投稿

日本でも会員向けにLPを配布していたコンサートホールが築いたクラシック・レコード全盛期

通販レーベルだからできたクラシック・レコードの全盛期 かつて世界最大のレコード通販会社として君臨したコンサートホール・ソサエティ(略称CHS)は、スイスを本拠地として、英米独仏だけでなく遠くアジアの日本などに販売網を広げていました。残念ながら経営に行き詰まり、70年代前半倒産しましたが、EMI、DECCA、COLUMBIAと云ったメジャーレーベルから漏れた隠れた演奏には名演も多く、貴重な文化遺産となっています。 かつてコンサートホール・ソサエティはオリジナル音源を有し、1970年代半ばまで日本でも会員向けにLPを配布していました。その後、CD時代になってからは、多くの音源の中から日本では唯一ライセンスを受けている日本コロムビアからCDが発売されておりましたが、1997年のリリースを最後に再発売も途切れておりましたが、2013年に見直されました。2014年以降はストリーミングの大幅増加。利用者の有料音楽との付き合い方の激変、音楽ソフトは新型コロナウイルス流行という特殊事情もあり、規模を縮小。 永世中立国スイスならでは。会員向けにLPを配布していた「コンサートホール」は、Youtubeの現在に於ける役割に等しい。コンサートホールは、当時の指揮者やオーケストラはレコード会社の専属契約に縛られていたことにより、(ドイツ・グラモフォン専属のカラヤンが常任指揮者を務めるウィーン・フィルがデッカ専属だったために、レコード録音の期間だけ移籍している)契約上許される組み合わせでしかレコーディングが許されていなかった時代において、既存の枠組みを超越した斬新な共演や、シューリヒトや当時新鋭であったブーレーズを含む豊富な指揮者陣、そして独特な制作コンセプトにより瞬く間に世界中で会員が増え、クラシック・レコードのある意味全盛期のひとつを築いた。 当時日本国内だけで50万人以上の会員がいた。会員になると、毎月「音楽委員」が推薦する名盤である「今月のレコード」が普通価格より35%も安く買うことができる。年間会費を送金しておくと、毎月レコードが送ってくる。年数回はボーナスレコードも届く。インターネットのなかった時代に、都会のレコードショップに行くしかなかったレコード愛好家にとって恩恵だった。 1972年の恩師ディアギレフの生誕100年を記念して録音したロシア・バレエ団のために...

平成版名曲新百選◉3番 東京行進曲〜佐藤千夜子・朝ドラにもなった流行歌手第1号の金字塔、昭和の歌謡曲第1号

第3番 (昭和4年5月) 曲目 東京行進曲 歌手 佐藤千夜子 作詞 西條八十 作曲 中山晋平 昭和の歌謡史の第一ページ ― 映画主題歌の第1号  昭和の初め、現代流行歌の草分け時代。中山晋平メロディーで幕を開け、古賀政男の出現によって日本中を席巻し、黄金期を迎えます。それは支那事変が起こって戦況が悪化、音楽が統制下に置かれる昭和10年まで続きます。  昭和の初め、娯楽雑誌として日本一の発行部数を誇っていた「キング」に掲載された、菊池寛の評判小説を日活が映画化するに当たって、ビクターがタイアップして作った映画主題歌で、昭和4年5月発売されるや爆発的なヒットとなりました。  昭和の初め、日本歌謡界のクイーンは佐藤千夜子でした。本名は千代、山形県出身で、上野の音楽学校に学んでいた彼女が、中退して中山晋平の作曲した童謡や新民謡を歌って、レコード以前からその声価は高かったものです。ビクター専属のレコード歌手第1号として吹き込んだ『波浮の港』は15万枚、映画主題歌『東京行進曲』が25万枚の大ヒットは驚異的なものでした。昭和の歌謡史の第一ページに深く刻まれた彼女の輝く足跡は、いつまでも消えないでしょう。  歌詞は、関東大震災から立ち直った東京のモダン風俗をうたったものですが、ヒット・ソングを映画化した大正時代の小唄映画と違って、これは映画とレコードが同時に企画製作された最初の作品で、映画主題歌の第1号といえる記念すべき作品です。  冒頭に〝昔恋しい銀座の柳〟という詞がありますが、銀座の柳並木は明治期にイチョウに切り替えられ、この歌より6年前の関東大震災でそれも壊滅状態となっていました。この歌の当時はプラタナスになっていましたが、曲の大ヒットで< 銀座に柳を復活させよう >の気運が盛り上がり、銀座に柳が復活しました。後に作詞作曲も同じメンバーで「銀座の柳」が作られ完全復活が宣言されました。折角の銀座の柳も太平洋戦争の東京大空襲などで壊滅し、現在は4代目だそうです。 http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/%E5%90%8D%E6%9B%B2%E6%96%B0%E7%99%BE%E9%81%B8.jpg March 24, 2020 at 11:55PM from アナログ...

真の永遠のベストセラー◉名演にも勝るカール・リヒターの高潔な演奏と解釈 ミュンヘン・バッハ管 バッハ・マタイ受難曲

カール・リヒターの代名詞的録音ともいわれる、決定的名盤。バッハ演奏において一時代を築いたリヒターの最初の「マタイ受難曲」の録音で、その後のバッハ演奏、あるいは「マタイ」演奏に多大な影響を与えた録音。 《独ステレオ・カーヴ with silver "Alle Hersteller“ ED1 布張りボックス、背表紙「逆さ文字」最初期盤》DE ARCHIV SAPM198 009/12 カール・リヒター バッハ・マタイ受難曲 旧東ドイツの牧師の息子に生まれたリヒターは、1950年代から70年代に峻厳な気迫を湛えた入魂の演奏で、現代人の心に強くアピールする清新なバッハ像を打ち立てた。  バッハの《マタイ受難曲》は宗教音楽の金字塔というだけでなく、〝人類最高の音楽遺産〟ともいうべき不滅の傑作である。日本の音楽ファンにも、そう確信させたのが1969年5月の東京で、リヒターが手兵のミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団と演奏した《マタイ受難曲》であったかもしれない。バッハの化身とまで謳われ、20世紀のバッハ演奏に大きな足跡を残したカール・リヒターによる《マタイ受難曲》は現在4つの録音があり、本盤は1958年録音盤。レコード発売以来、恐らく日本だけで50万セット以上は売れたであろう、クラシックのレコード史上に輝く作品。  リヒターによるバッハ演奏、なかでも大作《マタイ受難曲》(1958年録音)から始まったここでの4大宗教作品の録音は、それまでの伝統に立脚した解釈・演奏とは一線を画したものとして、今日のバッハ演奏として定着した感のあるオリジナル楽器にも匹敵し、それらをも上回るリヒターの確信と解釈とによって絶大な名声を博してきました。なかでも《マタイ受難曲》は1959年のレコードによる発売以来、CD時代となった現在でも、その演奏水準の高さ、各ソリストの名演、そして何にも勝るリヒターの高潔な演奏と解釈が普遍性を示したものとして、真の永遠のベストセラーとして支持され続けてきました。  バッハが作曲した「マタイ受難曲」が西洋音楽の最高峰だという事には殆ど誰も異論を挟まない。この曲を知らずに死んでもどうって事は無いが、人類最大の音楽遺産を聴く喜びを知らずに死んだ事になる、と多くの先人が書いているし私も同感だ。イエスの死と復活を扱ったこの曲はキリスト教を信じるか、信じ...