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マリア・カラスと双璧*テバルディ、モリナーリ=プラデッリ指揮ローマ聖チェチーリア音楽院管 ヴェルディ・椿姫(全曲)

通販レコードのご案内 マリア・カラス生涯のライバル、テバルディ。本質がわかるレコード。~持ち前の美声で歌い切っている。

GB DECCA LXT2992-4 レナータ・テバルディ ヴェルディ・椿姫(全曲)《英オレンジ銀文字盤 オリジナル》GB DECCA LXT2992-4 レナータ・テバルディ ヴェルディ・椿姫(全曲) レナータ・テバルディは、1946年戦災で破壊されたスカラ座の再開記念コンサートにおいてオーディションに応募、このとき大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニに認められ、24歳の若さでデビューし、1950年代から1960年代にかけてイタリア・オペラ界でマリア・カラスと人気を二分する人気を得た。この盤も当時の DECCA の録音の良さもあり、素晴らし音質で聴かせます。「椿姫」は「ボエーム」と並んで、オペラハウス近くのレストランにとっては鬼門の演目なのだそうです。それは、悲劇的な結末を見た聴衆が涙に暮れて、そそくさと家路について食事を楽しんで帰る気分にはなれないからだとものの本に書いてありました。しかしながら、レコードに舞台の成功を第一に考える演出の、その心配はなく。有名アリアが満載の世界的なオペラ名作を気鋭のディーヴァを売り出すデモンストレーションとしている。レナータ・テバルディの声の素晴らしさ、また作品としての素晴らしさに耳を奪われ聴き入ってしまうことでしょう。音楽鑑賞用としては、オススメの1枚です。椿姫の数年間の変貌を第一幕の華やかさと、終幕の儚さの時間で謳い分けるのは一筋縄ではいかない。高級娼婦の高尚な性格を発散する第一幕に於けるコロラトゥーラの華麗な表現をリリコのテバルディに求めるのは酷と言うものであろう。むしろ終幕においてドラマティックな緊張感で描き出したユニークなヴィオレッタ像を、さすがと評価したい。
1954年録音。優秀録音、名演、解説書付き。
モノラル盤としては驚くほどノイズが少ないことと相まって、目の前で歌っているような感覚が味わえます。

http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-20772.jpg
April 30, 2020 at 09:00AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1059126.html
via Amadeusclassics

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