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高名な三人も楽団員★オイストラフ、リヒテル、ロストロポーヴィチ、カラヤン指揮ベルリン・フィル☆ベートーヴェン・三重協奏曲

通販レコードのご案内 1970年初出。当時の人気はものすごく。メーカーの営業マンの話しによれば毎日歌謡曲並みに売れていたとか。兎も角このメンバー以上による、この曲の録音は考えられなく、まさに空前絶後とはこのこと。

GB EMI ASD2582 オイストラフ&ロストロポーヴィチ&リヒテル ベートーヴェン・三重協奏曲《英カラー・スタンプ・ドッグ盤》GB EMI ASD2582 オイストラフ&ロストロポーヴィチ&リヒテル ベートーヴェン・三重協奏曲 熊本のクラシック音楽専門の中古盤店の店主が定番にしている思い出話だが、それほど発売前から大きな話題になりました。大きな販促用のポスターが記憶に残るほどでした。まだまだレコードの売上としては若者中心のロックやジャズより、クラシック音楽のレコード購入者が確かな買い手だったのでしょう。
 ロシアの三大巨匠、ダヴィッド・オイストラフ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、スヴャトスラフ・リヒテルとカラヤン率いるベルリン・フィルという、大手レーベルでなければ、決して実現しない様なオールスターによる《ベートーヴェン・三重協奏曲》。ヴァイオリン協奏曲や、ピアノ協奏曲と比べて、ベートーヴェンといえども馴染みの薄い《トリプル協奏曲》。当時の日本人の中には初めて手に取ったクラシック・ファンもあったかもしれませんね。
「この三人のソロで、カラヤン指揮ベルリン・フィル」だから、いっちょ聴いてみよかい、って。今でも興味惹かれることは変わらないでしょう。
 高名な三人の独奏者もここでは楽団員です・・・、カラヤン/ベルリン・フィルの録音は星の数くらい沢山あるが、ベルリン・フィルの実力を最高に引き出しているという点では当盤も最右翼でしょう。それは極めてスタイリッシュかつパワフルで録音も素晴らしく、オーディオ的観点からも胸のすく音の洪水。本録音はカラヤンの何時もの重厚感がたまらなくいいし、豪華絢爛なベルリン・フィルも健在。ベルリン・フィル伝統のアンサンブルは健在で他に得られない圧倒的なものです。 ー それほど気合が入っているのは、この時カラヤンと EMI それぞれの思惑が大きく存在しています。そして、このレコーディングにはリヒテルが再録音を主張していますが、長くなるので改めて書きます。 ー カラヤン好きにはオススメの1枚。 … 念を押しますが、ベートーヴェンの三重協奏曲の面白さがわかるようになってから聴きましょう。
1969年9月、ベルリン、イエス・キリスト教会でのステレオ・セッション。優秀録音、名盤、解説書付属。

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April 28, 2020 at 02:45AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1067299.html
via Amadeusclassics

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