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一級のオーディオファイル盤◆ウェラー指揮ロンドン・フィル デュカス 交響曲ハ調、魔法使いの弟子

通販レコードのご案内キングズウェイホール&レイバン&ジェームス・ロックと当時の最高の会場・制作陣投入した会心作。

GB DECCA SXL6770 ウェラー デュカス・魔法使いの弟子《英ナローバンドED4盤》GB DECCA SXL6770 ウェラー デュカス・魔法使いの弟子
 ウィーン国立歌劇場はドイツ敗戦直前の1945年3月12日に空襲で消失した。
 戦中にナチス・ドイツから逃れて、ブルーノ・ワルターがいなくなった穴はクレメンス・クラウスやクナッパーツブッシュ、そしてフルトヴェングラーが埋めた。ときにヴォルフガング・シュナイダーハン、ボスコフスキー、ワルター・バリリが、ウィーン・フィルハーモニー史上最強のコンサートマスターのトリオだった。
 オーストリアは1955年に占領下から独立するが、それと国立歌劇場の再建は同時だった。
 ナチス・ドイツがポーランド侵攻した1939年に、ウィーンに生まれたワルター・ヴェラーは、17歳でウィーン・フィルに入団。わずか22歳でコンサートマスターに抜擢されると、11年にわたってその任務に就き、その間にヴェラー弦楽四重奏団を結成していた。
 幸松肇は、ヴェラーを「ウィーン・フィル歴代のコンサート・マスターの中で、彼がいちばん腕達者だったのではないか」と評価する。しかし1969年、突如ウィーン・フィルのコンサートマスターの地位を捨てて指揮者としての道を歩むことになる。と同時に、ウィーン最高の弦楽四重奏団と呼ばれたヴェラー弦楽四重奏団も1971年に解散。おそらくウィーン・フィルのメンバーにとっても、そしていっしょに室内楽を奏でていた人にとっても、この転向は青天の霹靂。ひとりのヴァイオリニストの人生の選択が、ウィーンの音楽界にとってどれほど重い意味を持つものであったか。ヴェラーが指揮者となり室内楽を見捨てた悲劇は、ウィーンが本来持っていた室内楽の魅力を変質させ、ウィーンの室内楽全体の悲劇に直結してしまった。
 ソリストの指揮者転向はよく聞く話である。しかしここまで音楽界に大きな影響を与えた「転向」は歴史として記憶にとどめておきたいトリビア向きの出来事だ。ウィーン音楽の伝統を生まれつき持ち合わせ、その未来をも託されていた歴史的な天才。周囲の期待を拒否してまで、それまでの生き方を彼はなぜに捨てたのか。
1974年10月ロンドン、キングズウェイ・ホールでのステレオ録音。

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via Amadeusclassics

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