通販レコードのご案内若きアバドがシカゴ交響楽団を見事にコントロールして、明敏なマーラーを描きだしている。
《独ブルーライン盤》DE DGG 2531 339 アバド、シカゴ響 マーラー・交響曲5番
シカゴ響、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルら3つのオーケストラを振り分ける形で、完成に16年かけたアバド第1回目のマーラー交響曲全集から1980年録音の交響曲第5番。シカゴ交響楽団との3枚目となる。アバドのマーラー録音は非常に多く、指揮者人生の⅔にわたる。シカゴ交響楽団、ウィーン・フィルを用いた一連の録音は全集という形を一応取っているが、予定されていたことだったのだろうか。16年かかったのも、こういった曲をわかりやすく、一定以上のレベルを保って上手く演奏できたのが若い頃のアバドであった。本盤演奏も生命力を感じる躍動性にしなやかな歌心が加わった名演となっている。
ベルリン・フィルの芸術監督の就任前、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などとともに数々の演奏を行っていた時期 ― とりわけ1970年代後半から1980年代にかけてのアバドが最も輝いていた。当時、47歳の上り坂のアバドの若々しい覇気と歌心に、ショルティが鍛えたシカゴ交響楽団の強靭なアンサンブルと奏者の妙技が結びついた名盤。特に金管や打楽器のパワーは最高だ。アバドはマーラー特有の起伏の激しいオーケストレーションを実に明晰に分析、シカゴ響の圧倒的なヴィルトゥオジティを最大限に引き出して、唯一無二ともいえる演奏を繰り広げています。若きアバドがシカゴ交響楽団を見事にコントロールして、明敏なマーラーを描きだしている。録音も清冽で最高です。また、楽器の配置や奥行きも感じられる ― 「一音符たりとも逃さず音にしてやるぞ」という感じの、体を張った音楽を作ろうとするアバドに、エンジニアが応えた。初期のデジタル録音ではなく、アナログ末期のもっとも音が良い時代のアナログ録音 ― マーラーの魅力を存分に堪能することが出来る一枚です。それにしてもシカゴ響の技術的キャパシティーの大きさは驚くばかり。
第5番は、トランペットの独奏による葬送行進曲のファンファーレが印象的な交響曲です。実質の演奏になるとブラスセクションの押さえが要になる。もちろん弦も、ハープとによる第4楽章で大活躍するのであるが、その他の楽章ではまさに咆哮といった様相の『鳴り』が必要とされ、弦の主旋律の部分との錯綜が非常に特徴的。シカゴ交響楽団は金管優位であるが、この楽章には合っているため違和感なく聞ける。弦、管共に特徴的な美音があるわけではないものの全体に厚みがあるし上手い。バーンスタインはウィーン・フィルに対して『弦は弓を大きく使って、切れる程に強く弾かないとマーラー演奏にはならない』と語っていたが、それ程に金管の音が聴く側にとっての印象として強烈なのである。そもそも、それが破綻していては心もとないが、アバドの牽引は世界一の金管セクションのシカゴ響を見事にコントロールし、且つその弦とのバランスも絶妙に取ってのけた。
それだけではない。第2楽章の終わり際に、トランペットで最終楽章の予告を吹かせておいて、第5楽章の最後で見事に吹き抜けていく。ショルティ&シカゴ響もテンシュテット&ロンドン・フィルもこれが残念ながら分かり難く、カラヤンはさすが、最終楽章の落とし処をちゃんと掴んでいます。レコードで聴くものに、マーラーの音楽作りをわかりやすく聴かせてくれている。第1楽章から、気迫溢れる推進力が漲っており、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力強さは圧倒的な迫力を誇っている。当時のシカゴ交響楽団は、音楽監督であったショルティの下、スーパー軍団の異名をとるほどの力量を誇っていたが、本演奏でも持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献している。
それでいて、第4楽章アダージェットも、アバドは綺麗に弦楽器群を歌わせています。歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力があり、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている。この時期のアバドのやる気で、オーケストラもシカゴ響で不満なく、エンジニアが応えた録音も優秀、フレッシュな感覚で満ちあふれている美しいマーラーと言える。
ベルリン・フィルの芸術監督の就任前、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などとともに数々の演奏を行っていた時期 ― とりわけ1970年代後半から1980年代にかけてのアバドが最も輝いていた。当時、47歳の上り坂のアバドの若々しい覇気と歌心に、ショルティが鍛えたシカゴ交響楽団の強靭なアンサンブルと奏者の妙技が結びついた名盤。特に金管や打楽器のパワーは最高だ。アバドはマーラー特有の起伏の激しいオーケストレーションを実に明晰に分析、シカゴ響の圧倒的なヴィルトゥオジティを最大限に引き出して、唯一無二ともいえる演奏を繰り広げています。若きアバドがシカゴ交響楽団を見事にコントロールして、明敏なマーラーを描きだしている。録音も清冽で最高です。また、楽器の配置や奥行きも感じられる ― 「一音符たりとも逃さず音にしてやるぞ」という感じの、体を張った音楽を作ろうとするアバドに、エンジニアが応えた。初期のデジタル録音ではなく、アナログ末期のもっとも音が良い時代のアナログ録音 ― マーラーの魅力を存分に堪能することが出来る一枚です。それにしてもシカゴ響の技術的キャパシティーの大きさは驚くばかり。
第5番は、トランペットの独奏による葬送行進曲のファンファーレが印象的な交響曲です。実質の演奏になるとブラスセクションの押さえが要になる。もちろん弦も、ハープとによる第4楽章で大活躍するのであるが、その他の楽章ではまさに咆哮といった様相の『鳴り』が必要とされ、弦の主旋律の部分との錯綜が非常に特徴的。シカゴ交響楽団は金管優位であるが、この楽章には合っているため違和感なく聞ける。弦、管共に特徴的な美音があるわけではないものの全体に厚みがあるし上手い。バーンスタインはウィーン・フィルに対して『弦は弓を大きく使って、切れる程に強く弾かないとマーラー演奏にはならない』と語っていたが、それ程に金管の音が聴く側にとっての印象として強烈なのである。そもそも、それが破綻していては心もとないが、アバドの牽引は世界一の金管セクションのシカゴ響を見事にコントロールし、且つその弦とのバランスも絶妙に取ってのけた。
それだけではない。第2楽章の終わり際に、トランペットで最終楽章の予告を吹かせておいて、第5楽章の最後で見事に吹き抜けていく。ショルティ&シカゴ響もテンシュテット&ロンドン・フィルもこれが残念ながら分かり難く、カラヤンはさすが、最終楽章の落とし処をちゃんと掴んでいます。レコードで聴くものに、マーラーの音楽作りをわかりやすく聴かせてくれている。第1楽章から、気迫溢れる推進力が漲っており、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力強さは圧倒的な迫力を誇っている。当時のシカゴ交響楽団は、音楽監督であったショルティの下、スーパー軍団の異名をとるほどの力量を誇っていたが、本演奏でも持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献している。
それでいて、第4楽章アダージェットも、アバドは綺麗に弦楽器群を歌わせています。歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力があり、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている。この時期のアバドのやる気で、オーケストラもシカゴ響で不満なく、エンジニアが応えた録音も優秀、フレッシュな感覚で満ちあふれている美しいマーラーと言える。
1980年2月シカゴ、オーケストラ・ホールでのステレオ・セッション録音。
http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-23161.jpg
August 30, 2019 at 04:00PM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1104312.html
via Amadeusclassics
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