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さらっと弾きこなしている★大人の演奏 アッカルド、デュトワ指揮ロンドン・フィル パガニーニ・ヴァイオリン協奏曲全曲

アッカルドの明るく歌謡的なヴァイオリンが作品の魅力を引き出し、オーケストラが整然とした演奏を聴かせてくれる。

 パガニーニのスペシャリストとも言えるのが、アッカルドである。驚異的なテクニックと明るく澄んだ音色、豊麗な歌が持ち味のヴァイオリニストである。もちろん、パガニーニ以外の、例えばブラームスやメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲も録音してはいるが、どうも評判はさっぱりのようだ。こういうスペシャリスト的ヴァイオリニストもいるのだ。1975年発売。
 そのコンサート・ツアーにはシューマン、リスト、ショパン、ベルリオーズが夢中になり、シューベルトは家財を売ってまでも友人たちと一緒に追っかけをしているほどに、音楽界を席巻したニコロ・パガニーニ(1782-1840)は、今日までのヴァイオリン音楽の発展のために最も貢献した人物の一人として忘れることのできない音楽家です。それはヴァイオリン曲の創作、演奏という双方の側面から言えることですが、超絶的な演奏技法を駆使した曲の創作ならびにそれを十二分に発揮することできるテクニックによって、彼の音楽活動は当時の多くの人々の心を捉えたのでした。そこで展開される音楽には、単なる心地よさを追求したものとは違った、鬼気迫る超感覚的な作用で魔法にかかったように聴衆を惹きつけてしまう不思議な魅力があり、彼の地元であるイタリアでの演奏会を鑑賞したある報道社は、「パガニーニの演奏を聴いたナポリ市民の熱狂ぶりは、まったく狂気の沙汰であった」とまで述べています。パガニーニはクラシック史上最高のヴァイオリニストで、ヴァイオリンという楽器の可能性を広げることにも尽力した偉大な音楽家でもある。作曲家として自身で演奏するためだけの協奏曲や室内楽を残しもしたが、その超絶技巧の実践のためと言っても悪口として受け取られはしないだろう。でも、特化した曲とは言えそうで演奏家を選ぶ。
 現代版パガニーニというとアッカルドだが、先に上げた伝説の数々を知ると先入観のせいか、無理に気張ったアクの強い演奏をするヴァイオリニストが多い中で、アッカルドはいとも簡単にさらっと難しいパッセージを弾きこなしている。聴いていて音楽的にも感覚的にも一番心に入ってくる演奏だ。パガニーニがスタッカートを奏する時の様子について『小説パガニーニ(音楽之友社刊)』にある『弓はヴァイオリンの弦の上で、まるで鞭のようにしなやかにさらさらと動いているようであった。また彼は信じられないほどの速さで数々のフレーズや音階をすばらしく細かいスタッカートで弾いた。一つ一つの音は彼の指からまるで小粒の真珠がこぼれ落ちるように飛び出してくるのであった。この運弓の多様性はまさに驚くべきものであった。プレスティッシモにおいてさえ、最も短い音でも一つ一つがはっきり区切られ、どんな時でもテンポに狂いを生ずるようなことはなかった』そのもの。
 自作のカデンツァを用い、超絶的なテクニックに加え輝かしい音色で朗々と歌い上げるアッカルドの特質は、まさにこの作品にはうってつけのもの。デュトワ指揮のロンドン・フィルハーモニーも万全のサポートで支えています。パガニーニを少しエロティックに描いた映画「パガニーニ」の挿入曲盤も当盤だった ― 2013年公開の映画「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリスト」ではデイヴィッド・ギャレットが俳優としてパガニーニ役を演じ、劇中のスコアまで手がけた ― が、いたずらになるところのない大人の好ましい演奏である。
サルヴァトーレ・アッカルド (Salvatore Accardo, 1941年9月26日 ー ) は、イタリアのヴァイオリニスト。トリノ生まれ。シエーナのキジアーナ音楽院でジョルジュ・エネスコの高弟だったイヴォンヌ・アストリュクに師事し、さらにナタン・ミルシテインにも師事する。13歳にしてトリエステで最初の演奏会を開き「パガニーニの再来」という賛辞を贈られたほどの神童であった。
 マルタ・アルゲリッチとの共演などソリストとして世界的な活動する一方、1970年代にはイ・ムジチ合奏団のコンサートマスターを務める。驚異的なテクニックと、明るく澄んだ音色、美しく華麗な歌の魅力により、とりわけパガニーニ作品の演奏家として名高い。シャルル・デュトワと共演して協奏曲全6曲の全集や、譜面が現存するヴァイオリンと管弦楽のための協奏作品、ヴァイオリン独奏曲のほぼ全てのパガニーニの作品を録音し、「24の奇想曲」は少なくとも2回は録音している。録音数は、フィリップス、ドイツ・グラモフォン、EMI、ソニー・クラシカル、フォネ、Dynamic、ワーナーといったレーベルに50点以上の録音がある。
 近年ではヴィオラ演奏や指揮者も手掛ける。ストラディヴァリウス・ファイアーバード・エクス・サン=テグジュペリ(1718年製)とストラディヴァリウス・ハルト・エクス・フランチェスカッティ(1721年製)の二種類のストラディヴァリウスとグァルネリ・デル・ジェス(1734年製)を愛用している。

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GB DGG 2740 121 アッカルド パガニーニ・ヴァイオリン協奏曲全曲《英ブルーライン盤》GB DGG 2740 121 アッカルド パガニーニ・ヴァイオリン協奏曲全曲 1974-75年にイタリアの名ヴァイオリニスト、アッカルドのパガニーニ録音を集成した5枚組セット。自国の作品にとどまらず、バッハやベートーヴェン等でも力量を発揮するアッカルドですが、やはりその冴えた腕前が最高度に輝くレパートリーはこのパガニーニでしょう。アッカルドは後に協奏曲を弾き振りで再録音していますが、本盤は彼の最盛期である1970年代のレコーディングだけに、その隙のない名技性は見事です。また、デュトワの指揮も良い。
■1974年1月(5番、6番)、1975年1月(1〜4番)、ロンドン、バーキング・タウン・ホール、クラウス・シャイベによるステレオ録音。5枚組。


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