通販レコードのご案内 日本ではショルティのヴェルディ演奏はレクイエム以外ほぼ黙殺されてしまった。不思議な話である。
王女の身分を隠して敵国の王女の世話をしている主人公。解放を懇願する捕虜の中に長年あえなかった父王の姿を見つけて思わず声をかけてしまったので身分がバレてしまう。そこから音楽は登場人物たちの心情をとことん語り尽くすが、音響的聴かせどころは前半だ。
有名な「凱旋行進曲」のアイーダ・トランペット独特の輝きを振り撒きながら突き進む音色や、その前のワイドでド迫力の合唱もショルティの引き締まったスケール豊かな指揮と相まって実に見事でスカッと気分爽快になる。オーディオ的に聴いても第一幕第一場後半や第二場後半の合唱が力強くワイドに拡がり、その迫力に圧倒されてしまう。
レコード店の大先輩から、ショルティの音はとにかくでっかかったと教わったことがある。ホールが飽和するほどにオーケストラを響かせたということだろうが、そうした批評が割りを食わせているのがショルティのこの『アイーダ』だ。曲に対する期待が二分するのだろうか。舞台演出や生演奏には到底及ばないわけでレコード録音はアプローチが違って当然だ。
本盤でショルティは、ヴェルディが意図したと思われる古代の遺跡や彫像に通ずる率直で硬質なドラマティシズムをあますところなく表現している。「アイーダ」が近世ヨーロッパのドラマではなく、古代世界の物語であることを納得させられる。そこから古代人の質朴な愛憎の葛藤も浮かび上がってくる。上品さにかけるが、生々しく心情を吐露していて生き様として迫ってくるじゃないか。巫女たちの妖艶な歌声が堪らなく厭らしい。
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May 27, 2019 at 06:30PM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e968870.html
via Amadeusclassics
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