歴史の中から楽譜を拾い上げ「チェロの旧約聖書」へと育てた男。
《米 ダーク・ブラウン、ゴールド 6eyes 盤》US COLUMBIA M2S731 カザルス&シュナイダー バッハ・ブランデンブルク協奏曲(全曲) 太陽にも大地にもたとえられるのは、平和だなぁと感じさせるから。ゴリゴリした通勤電車から開放されて職場に駆け込む前に、ほんの20分時間を作って聴いたらどんなに活き活きと一日をやり抜けるだろう。チェロの神様、パブロ・カザルスは、スペインのカタロニア地方ヴェンドレル生まれ。4歳でピアノ、ヴァイオリン、フルートを演奏し、11歳の時にチェロに出会った。カザルスの母は息子の才能を見抜き、音楽家への道を歩ませ、のちにバルセロナでガルシアに師事した。13歳の時に忘れ去られていたバッハの無伴奏チェロ組曲を発見。12年後に発表し大きな反響を呼ぶ。 ― 13歳のときにバルセロナの薄汚い楽譜店でこの無伴奏の楽譜偶然発見、古い昔の練習曲と言われた通りに徹底的に貪りつくまで研究、納得して披露したときは25歳になっていた。その頃にはこの楽譜は単なる練習曲だろうと、チェロ音楽の聖典だろうと夢中になれる音楽だったろう。ちなみに、カザルスが初めて全曲をレコードにしたのは、彼は60歳になっていた。少年時代からの思い出で、平和な気持ちになれたことだろう。録音は2番、3番が最初の年、特徴的な1番と6番を挟んで、1936年から39年までの3年をかけた。その意図するところを聴きとって貰いたい。
1920年にバルセロナ・カザルス管弦楽団を設立して指揮活動も始めたが、1939年にスペインが独裁フランコ政権に支配されると、これに抗議してすべての公開演奏を拒否し、寒村プラードに閉じこもった。しかし、第2次世界大戦終結後間もなく、1947年のバッハ生誕200年に世界中の音楽家がカザルスのもとを訪れ、プラード音楽祭が開催された。その後、母の故郷でプエルト・リコ・カザルス音楽祭、更にマールボロ音楽祭を毎年のように開催し、カザルスはそこで指揮棒を持って数々の名演を繰り広げていた。
マールボロ音楽祭は若手音楽家と著名音楽家と共同で行われる膨大な音楽祭で、公演は1週間あたり60回から80回のリハーサルの後、約5週間、毎週末に行われる音楽祭です。その音楽祭は米 CBS と米 COLUMBIA が録音、レコードをリリース。本盤は中でも大評判を得た名盤で、パブロ・カザルスと若手演奏家の大変、息のあった演奏で思わず息をのみこむ演奏です。
チェリスト、カザルスの技量については今更に述べるまでもないが、指揮者カザルスについては絶対に再認識されなければならない。というのは、カザルスの指揮は余技などという次元のものではなく、世界でもトップ・ランクのものだからだ。とはいっても、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1951年録音)、ベートーヴェンの交響曲第8番(1963年録音)のように、あまりにも過激にすぎるものもあるが、カザルスの芸風と曲の相性が一致した時には、とてつもなく素晴らしいい演奏が生まれた。その中でもバッハの管弦楽組曲全集(1966年録音),ブランデンブルク協奏曲全集(1964年〜65年録音),モーツァルトの交響曲第35,40,41番(1967年〜68年録音)、シューマンの交響曲第2番(1970年録音)などは名演である。
カザルスは指揮する際にも温かい感情のこもったバッハを聴かせようとする。ここで鳴り響くのは果たして作曲者の魂なのか惑いは彼自身の声なのかは判断できないが,「様式」にしばられない創造行為としての演奏が許容される限りこれは無上のバッハであるといえます。その喜びに満ち溢れた演奏として聴き手を魅了。ゼルキン、シュナイダーなど、共演者も豪華です。
1964年7月6日-12日バーモント州、マルボロ音楽祭録音。優秀録音、名演、名盤。
http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-16044.jpg
May 30, 2019 at 08:30PM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1032410.html
via Amadeusclassics
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