シベリウス作曲 ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品47 ― 1935年11月26日
1903年に作曲され、1905年に改訂された作品。シベリウスのヴァイオリン協奏曲はこの作品1曲であるが、交響曲的でスケールの大きな作品である。というのも、シベリウスはこの作品を1903年に作曲したが、その後、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴きその交響曲的な楽曲に衝撃を受け、書き直したといわれている。シベリウスの基本は交響曲であり、民族的な素材に基づいた交響詩です。ですから、彼はこのコンチェルトを書くときも、独奏楽器の名人芸をひけらかすだけのショーピースとしてではなく、交響的な響きをともなった構成のガッチリとした作品を書いたつもりでした。ところが、ベルリンで初めて聞いたブラームスのコンチェルトは、そう言う彼の思いをはるかに超えた、まさに驚くほどに交響的なコンチェルトだったが故に、彼に大きな衝撃を与えました。
この作品は第1楽章の冒頭部分、シベリウス自身が「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と指定しているヴァイオリンの緊張感のある演奏で始まり、それと同時に交響曲的でソロヴァイオリンも音楽をオーケストラとともに作り上げていく作品である。
シベリウスは14歳の時にヴァイオリンを買い与えられるや、たちまちこの楽器に夢中になり、明けても暮れてもヴァイオリンを奏でないと気がすまないほどになりました。やがて、ひとりで弾いているだけでは飽きたらず、姉リンダのピアノ、弟クリスチャンのチェロと一緒にピアノ・トリオを楽しんだり、友人たちと弦楽四重奏に興じたり、やがては学校のオーケストラに参加して演奏するまでになりました。そんな彼でしたから、ヴァイオリニストになる夢を持っていました。
しかし、ヘルシンキ音楽院生の時にメンデルスゾーンの協奏曲を弾く機会を得たものの、人前に出ると極度に緊張するという演奏家としては致命的な「欠点」を自覚して、作曲に主体を移すようになりました。生来の社交好きだったシベリウスは、作曲家として評価を得るための足場を作りたくて様々に交際を重ねましたが、八方美人でもあったのでしょう。それは、創作のための時間さえ削ってしまうほどのもので、とうとう行き詰まりに陥ってしまいました。
こうした危機的な状態から彼を救ってくれたのが、親友だったアクセル・カルペラン男爵でした。彼のすすめでヘルシンキ北郊の田園地帯ヤルヴェンパーに山荘風の家を建てて移り住み、身心の不調から恢復できたのでした。この地で、そうした生活の転換の直前に初稿を完成していた《ヴァイオリン協奏曲》は、改訂され現在の形に完成します。初演はリヒャルト・シュトラウスの指揮、独奏ヴァイオリニストはヨアヒム弦楽四重奏団のメンバーで、当時名声の高かったカール・ハリール。1905年10月19日にベルリンで行われた改訂稿初演は大成功でした。
第1楽章冒頭よりヴァイオリンの一点の曇りのない音が飛び込んでくる。第2楽章も感傷で済まない、秘めたる情念を感させる。ヴァイオリンの凛とした響きには、訴えかける力がある。終楽章は音符を一音一音大事にしていて、これ見よがしで弾き飛ばす感じは無い。ヴァイオリンは、ここでも名技を披露するが作品への愛情を感じる。ハイフェッツの突き抜けるような鮮やかな音色と、勿体つけたところが無くグイグイと音楽を前に前に進めていくような力強いボウイングは凄みがあり、甘いロマンティシズムとは一線を画した厳しい迫力がある。
探求派の達者な伴奏は、このような演奏ではむしろ興を削ぐことになりかねないだろう。『トスカニーニとニューヨーク・フィル』でも書いたことですが、伴奏オーケストラがどうであれ、独奏ヴァイオリンが引き立つことを計算に入れているからハイフェッツのヴァイオリンが素晴らしく鳴り響いて聴こえるのでしょう。その響きが強靱であることは言うまでもありませんが、北欧的ではないだろうけど、その響きはまさにシベリウスの音楽に相応しい玲瓏なものです。(ロンドン、アビイ・ロード第1スタジオ録音)
しかし、ヘルシンキ音楽院生の時にメンデルスゾーンの協奏曲を弾く機会を得たものの、人前に出ると極度に緊張するという演奏家としては致命的な「欠点」を自覚して、作曲に主体を移すようになりました。生来の社交好きだったシベリウスは、作曲家として評価を得るための足場を作りたくて様々に交際を重ねましたが、八方美人でもあったのでしょう。それは、創作のための時間さえ削ってしまうほどのもので、とうとう行き詰まりに陥ってしまいました。
こうした危機的な状態から彼を救ってくれたのが、親友だったアクセル・カルペラン男爵でした。彼のすすめでヘルシンキ北郊の田園地帯ヤルヴェンパーに山荘風の家を建てて移り住み、身心の不調から恢復できたのでした。この地で、そうした生活の転換の直前に初稿を完成していた《ヴァイオリン協奏曲》は、改訂され現在の形に完成します。初演はリヒャルト・シュトラウスの指揮、独奏ヴァイオリニストはヨアヒム弦楽四重奏団のメンバーで、当時名声の高かったカール・ハリール。1905年10月19日にベルリンで行われた改訂稿初演は大成功でした。
特有の高度な技巧と,品の良いロマンティシズムが味わえる
ベートーヴェン、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームスが作曲した唯一のヴァイオリン協奏曲に、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を含めてレコード史を飾る名盤が多い。ヤッシャ・ハイフェッツが普及に尽力したことは有名な話し。研ぎ澄まされた感覚と冴えた技巧で鮮烈に弾き切ったシベリウスは今も、この曲の代表盤として揺るぎない地位にあるハイフェッツの研ぎ澄まされた演奏と、それを十分に捉えた録音は未だに色褪せない。第1楽章冒頭よりヴァイオリンの一点の曇りのない音が飛び込んでくる。第2楽章も感傷で済まない、秘めたる情念を感させる。ヴァイオリンの凛とした響きには、訴えかける力がある。終楽章は音符を一音一音大事にしていて、これ見よがしで弾き飛ばす感じは無い。ヴァイオリンは、ここでも名技を披露するが作品への愛情を感じる。ハイフェッツの突き抜けるような鮮やかな音色と、勿体つけたところが無くグイグイと音楽を前に前に進めていくような力強いボウイングは凄みがあり、甘いロマンティシズムとは一線を画した厳しい迫力がある。
探求派の達者な伴奏は、このような演奏ではむしろ興を削ぐことになりかねないだろう。『トスカニーニとニューヨーク・フィル』でも書いたことですが、伴奏オーケストラがどうであれ、独奏ヴァイオリンが引き立つことを計算に入れているからハイフェッツのヴァイオリンが素晴らしく鳴り響いて聴こえるのでしょう。その響きが強靱であることは言うまでもありませんが、北欧的ではないだろうけど、その響きはまさにシベリウスの音楽に相応しい玲瓏なものです。(ロンドン、アビイ・ロード第1スタジオ録音)
http://recordsound.jp/images/item/w270/17700/17619_1.jpg
May 28, 2019 at 09:50AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1067386.html
via Amadeusclassics
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