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赤ステ★ハイドンをより自然に近づけ心暖まる★ヨッフム指揮ベルリン・フィル ハイドン:交響曲第88番《V字》&第98番

今後も聴き継がれていくであろう素晴らしいレコード 重量盤

DE DGG SLPM138 823 ヨッフム ハイドン・交響曲88&98番Haydn: Sinfonien Nr.88 G-DUR, Nr.98 B-DUR - Berliner Philharmoniker - Eugen Jochum - Deutsche Grammophon SLPM138782 ―― わたしは数々、作曲家を幅広く聴くようになってハイドンは楽しくなりました。それはLPレコード時代に録音されたものがどうアピールされたかにもよるでしょうが、演奏者やハイドンを学んだ作曲家たちは楽譜に描かれている事柄に感銘を受けて表現をしたいと思うのだろう。
ハイドン以前の作曲家の作品は違った世界観のあるもので、ハイドンを知らない作曲家だけが、その後また違う世界観を見せてくれているのでしょう。

ヨッフムの音色は極めてドイツ的、ここでのベルリン・フィルの音色にもフルトヴェングラー時代の音色が残っていると思われます。インターナショナル化する前のベルリン・フィルの純ドイツ的な響きが素晴らしく、実に深みのある音色です。エンジニアはギュンター・ヘルマンス、彼らしい少し固めの音質の優秀録音。
演奏も味わい深く、極めて内容のあるハイドンになっていて響きにコクがあります。60代はじめの頃のヨッフムはきびきびとした音楽の運びの中に、祈りにも似た歌を奏でていきます。ゲルマン的なハイドンを好まれる方には最適の一枚でしょう。

ハイドン創造の原点はここにありと云わんばかりの錯覚を起こさせる稀有な名演。

ヨッフムは生涯一貫してブルックナーに愛情を注いできたといって過言ではない人であり、残された録音の多さにもそれは示されている。有名な2つの全集(バイエルン放送響&ベルリンフィルとのグラモフォン盤。ドレスデン・シュターツカペレとのEMI盤)の他に、モノ時代に数点在ると言う。
録音は1958~67年のステレオ録音。ベルリンのイエス・キリスト教会とミュンヘンのヘルクレスザールの二箇所で行われた録音セッションが行われている。本盤は、そうしたブルックナー全集制作の最中、バイエルン放送交響楽団と収録したハイドンです。

ドイツ的な風合いの再現という意味では、質実剛健なサウンドによるヨッフムのハイドン演奏の面白さがダイレクトに迫ってきます。長らく名盤の地位を保っているが、今後も聴き継がれていくであろう素晴らしいレコードです。

http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-10955.jpg
May 31, 2019 at 06:00AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e928809.html
via Amadeusclassics

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