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ソ連国家の音楽教育の脅威を聴く★ コーガン、ギレリス、ロストロポーヴィチ ベートーヴェン・ピアノ三重奏曲7番「大公」

反ロマン的とか禁欲的といわれるコーガンとは別人かと思うほど、豊かな叙情性に富んだ音色を披露しており、優秀録音の名盤。

 コーガンは度々来日して演奏会を開いたことで日本での愛好家は数多い。その来日の度に高級なアンプやスピーカーを大量に買い込んで帰っていったということだ。それぐらいは驚くに値しないけど、コーガンが帰国前に荷物の搬送のために来たトラックはソ連大使館から派遣されたものだったといいます。つまりは送料も関税もゼロ。なんとも国を上げての羨ましい後押しだろう。しかし、なかなか資本主義社会では起こりえないことが旧ソ連では起こっていたエピソードだ。
 ソヴィエトの演奏家が西側で演奏する際は何かしらの報告の提出を求められていただろうことは想像に難くない。繊細で神経質なコーガンにとってそれは苦痛なことだったろう。このことが70年代以降コーガンが西側であまり演奏しなくなってしまうことと関係しているのかもしれない。

ドイツから音楽を持ち去ったソ連 ― 日本に新鮮な潮流を注ぎこんだソ連

 本盤は当時のソ連、というより世界最高峰の3人が組んだトリオによるべートーヴェンの名曲。現在の民主化されたロシアと違い、ソ連時代は国家が教育にも関与していたこともあり凄みのある歴史に名が残るような音楽家が多かった。第2次世界大戦はヨーロッパではドイツにソ連軍が押し寄せて終結した。そして、フルトヴェングラーを始め数々の録音原盤を持ち去られたことはクラシック音楽のレコード愛好家の良く知るところ。一方、日本へは第2次大戦後、数年たって一連のソ連演奏家が大挙して押し寄せてきた。まだ疲弊を引きずっていた日本の音楽界は、彼らからは大戦の痛手を感じさせない、パワーと抒情性が確実な技術にあることに驚嘆し心酔した。抒情の代表としてはリヒテルとロストロポーヴィチが抜きん出て当時の日本で大人気だった。ギレリスは1950年代というと「鋼鉄のタッチのピアニスト」と称され晩年とは違うガンガン弾きまくる、ある種のロシア・ピアニズムの潮流の典型。1950年代、エミール・ギレリス(Pf)、レオニード・コーガン(Vn)をフューチャーして、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(Vc)の他、ルドルフ・バルシャイ(Va)を適宜交えて数々の室内楽の録音が残っている。3人相互の信頼の厚さを物語るように、実にインティメイトな音楽が聴かれます。どの録音も要はロストロポーヴィチ。重くもなく軽くもない重量感を伴いつつも技巧的で甘くはないほどのロマンティックで全体を支え導きます。シゲティとは違う、けれども技巧的かつ求心的なコーガン。もちろん、ここぞというときの息をのむ盛り上がりは自然で、全体としての統一感も崩れることがありません。全体的には独墺系本流とは方向性が違うけれども求道的な姿勢で凄みがあり説得力のある演奏。モノラルでも最後期の録音で、音質は良好。

レオニード・ボリソヴィチ・コーガン

(Leonid Borisovich Kogan、1924年11月24日 - 1982年11月17日)
ウクライナ出身のソ連の名ヴァイオリニスト。コーガンは技術においても解釈においても至高の演奏家のひとりと認められている。スタイルは、同時代のたとえばオイストラフに比べてさほど個性的ではないものの、むしろモダンであると見なされている。コーガンは、速くて澄んだ音色のヴィブラートを使い、無骨でひきしまった、攻撃的な演奏を行なったと伝えられる。すべての弦とすべてのポジションにおいて、ムラのない豊かな響きを保とうとして、高音域で響きが減速しないように努めた。
○使用楽器
- 1707年製ストラディヴァリウス「Count Zubov」(1958)
- 1726年製グァルネリ・デル・ジェス「Colin, Kogan:エクス・コラン」
- 1743年製グァルネリ・デル・ジェス「Burmester, Kanarievogel, Hammerle:ブルメスター」
- 1731年製グァルネリ・デル・ジェス「Edith Mellon, Mackay」

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RU CDM LDX78 507 ギレリス&コーガン&ロストロポーヴィチ ベートーヴェン・ピアノ三重奏《仏メロディア フランス・プレス盤》RU Le Chant Du Monde LDX78 507 ギレリス&コーガン&ロストロポーヴィチ ベートーヴェン・ピアノ三重奏 オイストラフと比肩して並び称されるロシアの名手コーガン。すぐれた教育者としても知られ、門下にはアバドの愛人ムローヴァや池田万寿夫夫人佐藤陽子らがいます。58歳の若さで亡くなったこともあり、不幸にもけっして録音に恵まれていたといえないコーガンは、メジャーに数多くの録音を残したオイストラフに比べるとあまりにも対照的。そのコーガンが祖国の露メロディアに残してくれた貴重な本盤は、コーガンの知性と情熱とのバランスがとれた名手を偲ぶ格好の内容となった逸品。コーガンの比類ない歌、ギレリスの恍惚な響きとリズム、ロストロポーヴィチの音楽性が相成って人間的な最高芸術が表現されている。
■1956年モスクワでのスタジオ・レコーディング、モノラル録音。


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