他人からのテクニックを学ぶことは出来ますが、他人にうまく演奏させる方法を学び取ることは出来ません。
音楽は世界共通の言語です。国も、性別も職業も、宗教も歌ったり、楽しんだりすることに関わらない。様々な国の音楽を聴いて、その国に想いを馳せ、その曲自体を楽しむことは、まことに正しいし、音楽の持つ偉大な力のひとつだと思います。音楽を聴いて幸せな気持ちになったり、癒されたりする。何より、生きる喜びを人とシェアできるのが音楽の素晴らしさです。2016年4月29日、内閣府は春の叙勲を発令した。各界で功労のあった内外合わせて4,024人の中に、リッカルド・ムーティの名があった。このたび受賞した旭日重光章は、ヘルベルト・フォン・カラヤンが1989年に受賞したのと同じものだ。海外叙勲制度はなかなか一般人には縁遠く思われるものだが、今回の受賞には長年活躍を続けるマエストロへの感謝を、我々音楽ファンに代わって国が示してくれたようにも感じられ、なにか喜ばしく思われるものである。
これだけの経歴を誇るマエストロが、一年のうちにそれぞれに性格の違うアンサンブルとの来日公演をたて続けに行うことは異例中の異例だ。
リッカルド・ムーティの活躍からは、ますます目が離せない。1941年生まれ、最初ピアニストを志したが、偶然の機会得て指揮に転じトスカニーニの副指揮者からスカラ座の指揮者として活躍したアントニーノ・ヴォットに学んだ。トスカニーニの後継者として衆目の一致するところであったグイド・カンテルリが1956年の秋、パリ・オルリ空港での墜落事故で僅か36歳という生涯を終えて以来、イタリアは国際的なコンサート指揮者を見出し得ないでいた。そうしたイタリアの期待を担ってリッカルド・ムーティは彼より8歳先輩のクラウディオ・アバドとともにコンサートの指揮者としても、オペラの指揮者としても次の世代の巨匠の座を狙うに足る十分な足固めをしている。
彼が巨匠クレンペラー亡き後のニュー・フィルハーモニア管弦楽団に、沈滞と財政的困窮から脱出する救世主として迎え入れられたのは1973年の秋であり、その翌年のシーズンから彼は文字通り、ロンドンの名門オーケストラのシェフとして君臨した。国際的な大都会ロンドンを活躍の本拠地として、ムーティの活躍はウィーン、ベルリン、ミラノと多忙を重ねていった。
最初の来日はカール・ベームとともにウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1975)と、そして2回目はユージン・オーマンディとともにフィラデルフィア管弦楽団(1981)と、前世代のマエストロたちに紹介されるような形で日本を訪れたムーティ。彼はその後、フィラデルフィア管弦楽団、そしてミラノ・スカラ座を率いる存在へと成長し、現在までに25回もの来日を重ねた。2016年の1月にはシカゴ交響楽団の音楽監督就任後初の、待望の来演で鮮烈な印象を残した。初来日の頃、つまり頭角を現しはじめた1970年代には若き才能として将来を期待された彼も、今ではウィーン・フィルに名誉団員として遇される、押しも押されもせぬ偉大なマエストロの一人だ。そんな彼は、長く務めたスカラ座の音楽監督を退任してからは後進を育てる活動にも注力し、2004年には母国イタリアの若者たちを支援するため、偉大な作曲家の名前を冠したルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団を創設している。「他人からのテクニックを学ぶことは出来ますが、他人にうまく演奏させる方法を学び取ることは出来ません。」とムーティは言う。音楽を演奏するのに大切なメロディー、ハーモニー、リズムは民族や文化、宗教の理解が必要です。それぞれの国の音楽を演奏して、その国の音楽を知った気になってしまうのは、まことにおこがましく、恥ずかしく、恐ろしいことです。
ヨーロッパ音楽の伝統の何たるかをしっかり把握していないものは、聴いていて虚しいばかりです。それはジャズでも同様です。ジャズには技法と作法があると黒田卓也さんが説いている。ジャズの歴史はクラシック音楽ほどではありませんが、歴史を知っているか知っていないかがミュージシャンには大切だ。インタープレイの相手が、どこの時代が好きなのかという言葉(言語)がわからないと会話ができない。ジャズ・ミュージシャン同士で重要視されている『NOW'S THE TIME』に関心がないと、アドリブもまともに出来ないでしょう。
ジャズのライヴでアドリブが、ただのメンバー紹介で、全くアドリブの様式に成っていない演奏は気持ち悪いが、最後で何十秒も長々と音を引っ張っているのも閉口してしまう。それは自分だけのエクスタシーに酔っているだけで、聴き手を疎かにしている演奏だ。音楽を聴いてもらうというのは、どちらが主体なのか、自分たちの満足を満たすのはリハーサルのうちに済ませて欲しいと思う。お金をもらって聴いてもらっていることを忘れてはいけない。特に、プロとして聴衆の方々に、瞬間芸術であるこの「音楽」を提供する場合には、もっと謙虚に、もっと慎重であるべきだと思います。
通販レコードのご案内 高貴でありながら雄大な作風を示し、独創性も存分に発揮された傑作として親しまれている協奏曲。
《英モノクロ切手盤》GB EMI ASD3285 ムーティ ドヴォルザーク・交響曲9番「新世界」「チェコの田舎者」― ドヴォルザークは自分を、そう称した ― が、ゲルマン風のシンフォニックな発想と、「新世界」アメリカの味付けを加えて作り出した、この交響曲はナポリっ子のムーティにどう関わり合うのか。よく知られているように、この交響曲はドヴォルザークが新大陸アメリカに歩みを印しての第一作であり、「新世界」の環境が作曲家ドヴォルザークのインスピレーションを大いに駆り立てたところから誕生した。その意味において、この作品は遥か海を隔てた「新世界より」故郷に宛てたメッセージであったのだ。
アメリカの黒人やインディアンの民謡への関心は、かなり明らかである。そのため旋律は所謂ペンタトニック(五音音階)の傾向を強く示し、長調では第4音と第7音とが省かれる場合が多い。これに対し短調では常に短7度が使われ、第6音は省かれている。また和声的には主音や属音上のペダルポイントが支配し、時には両者がバグパイプ風に同時に鳴り響く。さらに付点音符やシンコペーションのリズムが、この作品の主題に魅力を与えている。
けれども、そうしたアメリカ的特徴が、いずれもドヴォルザークの独創性のうちに消化されたものであることによって交響曲「新世界より」は、単なるラプソディーではない芸術的価値を保持しているといえるだろう。また一見アメリカ風と思われる特徴の幾つかが、彼の故郷ボヘミアの民族音楽にも通じるものであったことは、ドヴォルザークの共感を一層惹きつける役目を担ったに違いない。
1976年初発。アビーロード・スタジオでの、Producer – John Mordler、Engineer – Neville Boyling による、ステレオ・セッション録音
http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-20482.jpg
April 28, 2019 at 12:00PM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1048625.html
via Amadeusclassics
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