スキップしてメイン コンテンツに移動

魅力の源泉*濡れたような音色 シモン・ゴールドベルク ラドゥ・ルプー モーツァルト・ソナタK.379&K.547

通販レコードのご案内ゴールドベルクのヴァイオリンには愛情が目一杯滲みでていて、幸せな気持ちになれます。

GB DECCA SDD517 ゴールドベルク&ルプ モーツァルト・ヴァイオリンソナタK.379/K.547《英Ace of Diamonds盤・オリジナル》GB DECCA SDD517 ゴールドベルク&ルプ モーツァルト・ヴァイオリンソナタK.379/K.547 苦難に満ちた生涯を送りつつも、シモン・ゴールドベルクは終生微笑を忘れぬ人であった。人に対し、物事に対し節度を持って丁寧に接した。言葉少なく、静かにあたりを包むような温容、彼という人の風韻には、彼の音楽に響く侵し難い品位が滲み出ている。
 自らを無にしていくほどに存在感を増していくゴールドベルク。実際、ゴールドベルクの調べに身を浸していると、聴いている自分の心まで美しく、優しくなったような気になってくる。一番近しい他人である「妻」の看病に天与の才能を、あっさり棚上げにすることは簡単に出来るものではないが、そうした利他の行為がゴールドベルクの魂をますます輝かせ、演奏に光と力を与えたのだ。
 時流に翻弄されたゴールドベルクであるが、演奏は端正にして透明、そこはかとなく気品を湛える。同時代の巨匠の録音と聴き比べた時、微塵も懐メロ的古さを感じさせない音楽造りは驚異的。この人は数十年向こうの時代を先取りしていた音楽家であった。
 シモン・ゴールドベルクはポーランドのウォクワウェク生まれ。ベルリンで名教師カール・フレッシュに入門。12歳でデビューし、29〜34年の間フルトヴェングラーの下でベルリン・フィルのコンサートマスターを務めた。ユダヤ系だったためナチスの迫害を避けて英国に逃れ、リリー・クラウスとデュオを組んで東南アジアなどを演奏旅行していたが、ジャワ島で53年にアメリカ国籍を取得し楽壇に復帰後、55年にオランダ室内管弦楽団カーチス音楽院で後進を指導した。日本軍に捕らえられ2年半の捕虜生活を送る。を結成。音楽監督、ソリストとして活躍する傍らピアニストの山根美代子と結婚し、87年から日本に定住。新日本フィルの指揮者となり実に懐の深い音楽を聴かせた。静養先の富山県で急性心不全のため死亡。

 2年半を過ごした収容所の過酷な状況のなかでも、彼の高貴な人柄は捕らわれの身の人々に失いかけた人間の尊厳を気付かせる光であったと生存者の間で今だに語り継がれていると聞く。彼が亡くなった後、訃報に接したあるオランダ人科学者が新聞に寄稿した記事があった。
「ゴールドベルク氏と同じ収容所に入れられていた私は10歳だった。皆のために彼が演奏してくれたバッハの無伴奏ソナタを、私は彼の膝に顔がつく程近くで、蹲って聴いた。それは、この世に至純の美しさが存在することを知るきっかけであった。長じて私はヴァイオリンを嗜み、私の息子も孫もヴァイオリンを愛でている。収容所の生活状況がいよいよ悪化し、音楽など許されなくなってからも、強制作業中、小さな棒杭を右手に持ち指と手首をきれいに動かし「練習」しながら歩いていた彼の姿を今も憶えている ―― 彼の澄んだ眼差しが優しかったことも。ゴールドベルク氏は、子孫に伝えていく尊いものとは何かを私に教えてくれた人である。」

 ゴールドベルクにとって生きていくことの課題とは、一日一日がどのように次の日へと充実した繋がりを持つかであり、重い過去も、体験でこそあれ、そこへの執着はなかった。生涯衰えることのなかった探求心は、彼にとって生きることへの情熱であり、音楽の分野に留まらず、人類が育んだ幾多の叡智を探求し、人間とは、音楽とは何かをその深層において把握することに熱中し、ひたすら勉強がおもしろく、好きであった。そして第二次世界大戦終結の日が漸く訪れ、多くの人々の手を経て奇跡的に隠し守られていたヴァイオリンも彼を待ち迎えたのであった。

 1955年、オランダ政府の要請によりオランダ室内楽団を結成。ヴァイオリニスト、音楽監督、常任指揮者として22年間に3,000曲を越える作品を通じて彼の音楽は、力強く、独自の光彩を放ち、その密度の高さをもって人々を魅了し続けた。

 彼は「教会の建設に携わる石工の意識には2通りある。『石を積んでいる』と『大聖堂を建てている』。音楽家はもちろん、後者であるべきだ。つねに聴衆の一歩先を行き、啓蒙する義務が私たちにはある」と語り、自身の演奏に課した信仰としていた。ゴールドベルクは自己に厳しい人で、端正なだけの人でなかった。普段は内に秘めている情熱が一挙に爆発するハイドンの協奏曲の第1楽章は、ゴールドベルク自身も「納得できた録音」と常々美代子夫人に語っていたという。

 ピアニストのリリー・クラウスとはデュオを組んでソリストとしての演奏を精力的に続け、その本セット同一曲は世界の中古盤市場では高値安定。入手困難盤。ステレオ時代なってからはラドゥ・ルプーとの共演によるこのモーツァルト全集やシューベルトのソナタの録音が名盤として、今日でも評価が高い。
 ルプーが青年期にリーズのコンクールで優勝したとき、審査員の一人であったゴールドベルクは彼の才能に大変な共感をもち、その後モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲のレコーディングを初め、シューベルトなど、若いルプーとの共演を沢山している。若いルプーが壮年のゴールドベルクから長いレコーディング・セッションを通して学んだことは何物にも代え難く、その後の彼の音楽に接する姿勢、楽譜を読み透していく力などの大きな柱となっていると、彼のゴールドベルクに対する限りない尊敬と思慕の混ざった暖かい想いを語っている。

 SP時代にリリー・クラウスとのコンビで伝説的なモーツァルト録音を残しているゴールドベルクが、「世界最高のリリシスト」ルプーとのコンビでふたたびモーツァルトを取り上げたこのアルバムは、1973年から翌年にかけてロンドンで開かれた全曲演奏会の大成功を受けてデッカによりレコーディングされたもので、初登場以来あらゆる賛辞を受け続けている名盤です。
 ルプーの清潔なフレージングと軽やかなリズム感、明快なタッチが紡ぎ出す音楽はまさに「リリシズム」の極地。このピアニストのレコーディングの中でもひときわ評価が高いことにも納得の素晴らしさです。しかし、それ以上に素晴らしいのがゴールドベルクのヴァイオリンです。第二次大戦後は指揮活動にも積極的だった彼だけに、ピアノとのアンサンブルに以前にも増して息の合ったアプローチを示していることは当然としても、音色の艶や表現のみずみずしさ、端正な造型の美しさがまったく失われていないことは驚異的といいたいところ。
 その熟練ぶりと感覚的なうるおいとの美しい統一こそ、この演奏が多くのモーツァルティアンを魅了し続けている魅力の源泉なのでしょう。なお、ゴールドベルク本人は、リリー・クラウスとの録音よりも、このルプーとのデッカ盤の方が気に入っていたということです。ステレオ録音。
1974年5月、9月ロンドン、キングスウェイホールで録音。プロデューサーとエンジニアは、クリストファー・レイバン&フィリップ・ヴァーデ。
■ステレオ録音、優秀録音、名演、名盤。

http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-22170.jpg
March 28, 2019 at 06:45PM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1086795.html
via Amadeusclassics

コメント

このブログの人気の投稿

優秀録音*優美な旋律と柔和な表現が忘れがたい ポリーニ、ベーム指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第4番

通販レコードのご案内  華々しいこの曲の随所に聴かれるフレーズは粒立ったピアノのタッチに思わずため息が出てしまう。 《独ブルーライン盤》DE DGG 2530 791 ポリーニ&ベーム ベートーヴェン・ピアノ協奏曲4番  当時ベームの最もお気に入りだったピアニスト、ポリーニとの共演です。全集が計画されていたようですが、1981年にベームが他界、第1、2番を替わりにオイゲン・ヨッフムが振って変則的なカタチで完成しました。  録音はギュンター・ヘルマンス。ポリーニの精巧なタッチが怜悧れいりに録られています。録音としては極上ですが、しかし、演奏としては、この4番は物足りない。ベームはバックハウスとの火花を散らした録音があるし、ポリーニは15年後にアバドとの全集があるので全集が完成しなかったことは残念とは思えませんね。  ベートーヴェンが36歳時に完成したビアノ協奏曲第4番をポリーニが録音したのは34歳の時。第1楽章後半のベートーヴェン自身によるカデンツァを始め、華々しいこの曲の随所に聴かれるフレーズは粒立ったピアノのタッチに思わずため息が出てしまう程のポリーニの若さの発露が優っている。ステレオ録音。 1976年6月録音。優秀録音盤。ギュンター・ヘルマンスの録音。 http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-19239.jpg June 27, 2019 at 09:15AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1065647.html via Amadeusclassics

歴史とジャズと竹あかり ― 映画上映、朗読劇とジャズ演奏で「四時軒の夕べ」を楽しみませんか

四時軒の夕べ 〜歴史とジャズと竹あかり 無料 開催日 2024年10月27日(日) 16:00〜17:10 映画上映 17:10〜17:30 「四賢婦人」朗読劇 17:30〜18:10 横井小楠記念館館長のお話 18:10〜18:30 ライトアップ点灯式 18:20〜20:00 ジャズ演奏(コントラバス、ピアノ、ドラム) 会場 四時軒 (熊本市東区沼山津1-25-91) 対象 どなたでも(申込不要・直接会場へ) 参加費 無料 主催 横井小楠顕正会 協力 熊本市都市デザイン課・秋津まちづくりセンター http://img01.ti-da.net/usr/a/m/a/amadeusrecord/Yokoi-Shohnan_gqR.jpg October 04, 2024 at 03:00AM from アナログレコードの魅力✪昭和の名盤レコードコンサートでご体験ください http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1194695.html via Amadeusclassics

名曲名盤縁起 プラター公園に訪れた、花満開の春を喜ぶ歌 シュトルツ〜歌曲《プラターに再び花は咲いて》

ウィンナ・ワルツの名指揮者シュトルツ没 ― 1975年6月27日  ウィーンという町には1年365日、朝から夜中まで音楽が鳴り響いている。夜中であったにもかかわらず、シュテファン大聖堂の建物そのものから厳かな宗教音楽が聴こえてくるのを味わうことも出来るほど、教会でのレコード録音は深夜を徹して行われている。  ウィーン音楽の王様はシュトラウス・ファミリーだが、20世気に入ってからのウィーンの楽壇で、指揮者・作曲家として大活躍したロベルト・シュトルツの音楽も、ウィーン情緒を満喫させてくれる。オペレッタやワルツに大ヒットがあるが、今日の命日には、100曲を超すという民謡風の歌曲から、ウィーンっ子がみなうたった《プラターに再び花は咲いて》を聴こう。映画「第三の男」で有名になった大観覧車のあるプラター公園の春を讃えた歌で、「プラター公園は花ざかり」というタイトルでも呼ばれている。 通販レコードのご案内  DE DECCA SBA25 046-D/1-4 ロベルト・シュトルツ レハール・メリー・ウィドウ/ジュディッタ  シュトルツにとっては、ヨハン・シュトラウスの作品をオリジナルな形でレコードに入れて後世に遺すことこそ、指揮者としての活動の頂点であることを意味すると云っていたのを読んだ事が有ります。ウィーンは音楽の都で数々の彫像や記念碑や街の通りにシューベルト、ブラームス、モーツアルト、ヨハン・シュトラウスといった大作曲家の彫刻が有ります。いずれも、生まれながらの(あるいはあとから住みついた)ウィーン市民でした。  作曲家であり指揮者であり、無冠のワルツ王の最後の人であるロベルト・シュトルツも、ウィーン音楽の生き字引としてこうしたカテゴリーに入るのではないか。1887年に天才少年ピアニストとして初めてヨーロッパを旅行してから今日に至るまで、ロベルト・シュトルツはその人生を音楽にささげてきたのである。その間には2,000曲の歌、50のオペレッタ、100にのぼる映画音楽を作曲し、数百回のレコーディングを行っているという。本盤もそうした中のセット。皆様をウィーンに誘う魅力タップリです。 ウィンナ・ワルツの伝統を保持する最後の指揮者  ウィーン・オペレッタ最末期の作曲家の一人として『春のパレード』などの作品を発表し人気を得たロベルト・シュトルツは、指揮者でオペレッ