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名曲名盤縁起 ピアニストの苦闘が報われる協奏曲の超難曲 ラフマニノフ〜《ピアノ協奏曲第3番》より第3楽章

“巨大な手”ラフマニノフ没 ― 1943年3月24日

GB BRUNSWICK AXTL1072 ラローチャ グラナドス・… ピアニストは大きい手が有利である。指はオクターヴ(ドから次のドまで)以上広がると楽。一流のピアニストは5本の指がみな長いが、小指が薬指かと思うほど長いのも特徴。小さい頃からの練習の積み重ねでそうなるらしい。手のひらの厚さ、指の関節、手首の柔らかさも重要。腕そのものの長さも、多彩な音色を生み出すことに関係している。そういうヴィルトゥオーゾ(名人)の資質を最も高いレベルで持っていたのが、今日が命日のロシアのセルゲイ・ラフマニノフだ。

 チャイコフスキーの薫陶を受け、モスクワ音楽院でタネーエフに学んだことから、モスクワ楽派(音楽院派、西欧楽派などとも呼ばれる)の流れを汲んでおり、西欧の音楽理論に立脚した堅固な書法を特徴とした。一方で、作曲を志した時期には五人組に代表される国民楽派とモスクワ楽派との対立が次第に緩和されつつあったため、親交のあったリムスキー=コルサコフの影響や民族音楽の語法をも採り入れて、独自の作風を築いた。ロシアのロマン派音楽を代表する作曲家の一人に位置付けられる。
 ラフマニノフはピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソであり、作曲とピアノ演奏の両面で大きな成功を収めた音楽家としてフランツ・リストと並び称される存在である。
 全ての作品は伝統的な調性音楽の枠内で書かれており、ロマン派的な語法から大きく外れることはなかったから、モスクワ音楽院の同窓で一歳年長のスクリャービンが革新的な作曲語法を追求し、後の調性崩壊に至る道筋に先鞭を付けたのとはこの点で対照的で受け入れやすい。
そしてピアニストとして、12度の音程を左手で押さえることができたと言われている大きな手をしていた。つまりは、小指でドの音を押しながら、親指で1オクターブ半上のソの音を鳴らすことができた。目の前にピアノの鍵盤をイメージして指を這わせてみて欲しい。
そういう素晴らしいピアニストがいた。という伝説ではなく、作曲家自身が優れた演奏家で、自身の協奏曲やソナタの演奏が現在、満足できる音質で聞けるのだからレコード時代に入っていて嬉しい限りだ。

 ラフマニノフ自身は1941年の『The Etude』誌のインタビューにおいて、自らの創作における姿勢について次のように述べていた。

私は作曲する際に、独創的であろうとか、ロマンティックであろうとか、民族的であろうとか、その他そういったことについて意識的な努力をしたことはありません。私はただ、自分の中で聴こえている音楽をできるだけ自然に紙の上に書きつけるだけです。…私が自らの創作において心がけているのは、作曲している時に自分の心の中にあるものを簡潔に、そして直截に語るということなのです。


 紙の上に書きつけられた楽譜が残されること以上に、ラフマニノフの演奏で残っていることが何よりも良い。
そしてピアニストとして人気があり、活躍していたことが「ピアノ協奏曲第2番」をはじめ名曲が数々生まれ出る足がかりとなった。

ピアノ協奏曲第2番は催眠療法から作られた。

 1892年に「ピアノ協奏曲第1番」を発表して以来、ピアニストとしても作曲家としての注目を集めていた。しかし、1897年に発表した野心作「交響曲第1番」が専門家から酷評されてしまう。失敗の原因として、グラズノフの指揮が放漫でオーケストラをまとめ切れていなかったらしいし、初演地ペテルブルクがラフマニノフの属したモスクワ楽派とは対立関係にあった国民楽派の拠点だったこと、スクリャービンが革新的な作曲語法を追求し、後の調性崩壊に至る道筋に先鞭を付けていた時期である、甘美でロマンティックな叙情を湛えた作品の数々は一般的な聴衆からは熱狂的に支持された一方で、批評家や一部の演奏家からはその前衛に背を向けた作風を保守的で没個性的と見なされ、酷評されることが多かった。この傾向は没後も続き、「彼の存命中にいくつかの作品が享受した圧倒的な人気は長くは続かないだろうし、音楽家によって支持されたことはかつてなかった」と切り捨てられたほどだ。
 ここまで酷評されれば誰だって、ノイローゼに陥る。

 そこで、ノイローゼに悩まされ続けているラフマニノフを心配した友人が、催眠療法の名医として知られていたニコライ・ダール博士を紹介する。ダール博士は「あなたが次に作る曲は傑作になる」という暗示をかけ続けた。ポジティブな暗示を与えることで、患者に自信を取り戻させるという治療法である。ちょうどその頃、ラフマニノフはロンドンのフィルハーモニック協会からピアノ協奏曲の作曲を依頼されていた。彼は、作曲不能となっている間も、ピアニストとしての活動は続けており、1899年のロンドン公演で成功を収めたことがきっかけで、作曲を依頼されたのである。
 しかし実際には数回の診療を受けただけで、難航していたピアノ協奏曲第2番第1楽章が完成したのは、治療に通った時期から1年以上経過している。とはいえ、ダール博士の自信を持たせる励ましと、ピアニストとしての活動は続けていた事が作曲の依頼を受けることができることとなった。専門家は酷評しようともフィルハーモニック協会はラフマニノフを好評化していたのだ。

 ラフマニノフ自身がピアノを弾いたこの曲の初演は大成功で、ダール博士の暗示通り、名曲として世界的に有名になった。のちにラフマニノフはダール博士に感謝の意を表し、この曲を博士に献呈している。
 この後、1902年には従妹のナターリヤ・サーチナと結婚した。この結婚式の行われた4月に作曲した「12の歌曲集」作品21には妻に捧げた「ここは素晴らしい」(第7曲)や、後に自身でピアノ独奏曲にも編曲した「ライラック」(第5曲)といった作品が作曲への取り組み方を変化させ、ストレスから解き放ったのでしょう。

 ラフマニノフのピアノ音楽は、協奏曲の第2番と第3番が飛び抜けて有名だ。日本の実力者・ 小山実稚恵さんは、「どちらが難しいですか?」と尋ねられて、「3番の方が何倍も難しい!」と答えられた。第3楽章は、超絶技巧と歌の感性を総動員させられる長大でドラマティックなフィナーレ。終わるとソリストh方な俺奴きた感じで、鍵盤上に倒れ込みそうになるが、その後に盛大な「ブラヴォー!」が待っている。

http://recordsound.jp/images/item/w270/500/456_1.jpg
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via Amadeusclassics

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