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名盤と青春◉果実の艶づき クリュイタンス ラヴェルの「ダフニスとクロエ」と「道化師の朝の歌」

通販レコードのご案内聴き手の想像力を刺激する名演。

GB ANGEL 35054 クリュイタンス ラヴェル・「ダフニスとクロエ」「道化師の朝の歌」《英 ラージ・エンジェル・イン・セミサークル盤》GB ANGEL 35054 クリュイタンス ラヴェル・「ダフニスとクロエ」「道化師の朝の歌」
《ダフニスとクロエ》全曲は、ラヴェルの管弦楽作品の中で最も規模が大きく、また管弦楽法の極致といっても良い作品。中で、クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団の演奏は、理想的な名演です。パリ音楽院管弦楽団は今は存在しないが、管楽器の音色の美しさと細やかな表情、弦楽器の柔らかな響きと美しい音色はラヴェルのオーケストレーションを最大限に活かしているし、クリュイタンスはオーケストラの自発性を活かしながら、巧みなコントロールで繊細で洗練された演奏を生み出している。
 パリ音楽院管弦楽団の持つ弦楽器や管楽器の柔らかく、まるで夢を見ているような美しい響きはどうでしょう。管楽奏者たちの上手さにも唖然とさせられます。そのパリ音楽院でデュカスに師事したルネ・デュクロの率いる合唱団も神秘的な歌声で、天上から聞えてくる声のようです。
エーゲ海に浮かぶ美しい島。山羊に育てられている一人の男の子をある日山羊飼いが見つけ、「ダフニス」と名付けて育てることにしました。2年後、ある羊飼いはニンフの洞窟に捨てられていた女の子を見つけ、「クロエ」と名付けて育てることにしました。やがてダフニスが15歳になったころ、ニンフの洞窟で身体を洗うダフニスを目にしたクロエは、水を浴びる彼の身体の余りの美しさに目を奪われて恋に落ちてしまいました。けれどもまだ「恋」というものを知らない彼女は、自分の心の状態を、どうして良いか解らないでいました。
ダフニスとクロエは、ある日、老人に出会いました。老人は「恋の神様」の話を二人にします。すると彼らは自分たちが今その状態にあることに初めて気が付きます。ある日、海賊が町を襲いました。略奪をして、美しいクロエも一緒にさらわれてしまいました。そこにパン神が現れて不思議な現象が起こります。やがて「夜明け」となり、クロエは無事にダフニスのもとへ戻ってくることができました。かつてパンがニンフに恋をした想い出へのお返しだというのです。二人はニンフの洞窟の前で再開して、盛大な披露宴が行われて全員が踊ります。
 ラヴェルといえばアンドレ・クリュイタンス、とされるほど、収録から60年以上の歳月を経ても最高位にランクされる名演。しなやかで繊細なニュアンス、精妙で瑞々しい感性に満ちた響きは、いつ聴いても時代を超越した官能の世界を提示してくれる。
1962年録音。

http://img01.otemo-yan.net/usr/a/m/a/amadeusclassics/34-23306.jpg
March 31, 2021 at 05:00AM from アナログサウンド! ― 初期LPで震災復興を応援する鑑賞会実行中 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1113851.html
via Amadeusclassics

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