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【歴史的音盤】反復を敢行した最初の録音◉メンゲルベルク指揮ニューヨーク・フィル◯ベートーヴェン・交響曲3番《英雄》

通販レコードのご案内 盤を裏返したらまた同じ音楽が流れてきた! プレスのミスか? いやいや、『英雄』の第1楽章提示部の反復を敢行した最初の録音。

【SP盤】GB HMV D.B.1599 WILLEM MENGELBERG Beethoven SYMPHONY No.3 IN E FLAT MAJOR, Op.55 (【SP盤】GB HMV D.B.1599 WILLEM MENGELBERG Beethoven SYMPHONY No.3 IN E FLAT MAJOR, Op.55 ("EROICA") 収録曲は、ベートーヴェン作曲の交響曲第3番《英雄》。1930年録音。D.B.1599, D.B.1600, D.B.1601, D.B.1602, D.B.1603,D.B.1604, D.B.1605 7枚が揃っています。

 メンゲルベルクを聴くなら後年のアムステルダム・コンセルトヘボウとのもの、一般的にはそう思われている。しかしながら、このニューヨーク時代も十分に個性的であり、完成度の高いものだということがわかる。音質に関しても、強いハム音が混入したりして、ばらつきのあるテレフンケン盤に比べれば、この英 H.M.V.の録音の方がずっと安定している。

 ウィレム・メンゲルベルクは19世紀末から20世紀半ばにかけて活躍したオランダの大指揮者であり、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーを含むいわゆる「四大巨匠」の一人である。彼は必要とあらば楽譜上の指示を自己流に変更し、お馴染みの作品から瞠目すべきニュアンスを引き出して音楽的効果を上げる達人だった。そのロマン主義的なスタイルと、細部の表現に徹底してこだわる奏者泣かせの名人芸は、多くの音楽ファンを魅了し、一時代を築いた。
 ウィレム・メンゲルベルクは1871年3月28日にオランダのユトレヒトに生まれ、オランダとドイツで音楽教育を受け、1891年にルツェルン市立管弦楽団の指揮者に就任。1895年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の指揮者に就任してからは、50年間の長きにわたってこのオーケストラを一流の演奏集団に育て上げた。1920年代にはニューヨーク・フィルの指揮台にも立ち、絶大な影響力を及ぼしたが、最終的にはアルトゥーロ・トスカニーニとの権力闘争に敗れ、ポストを明け渡している。戦後は不遇で、戦時中ナチスの招待を受けてドイツやフランスで指揮したため糾弾され、指揮活動を禁じられた。その後スイスに移住し、1951年3月22日に亡くなった。

 「英雄」は後年のテレフンケン盤が有名だが、こちらも捨てがたい。同時期録音のEMI盤などと比べても、音は比較的良い。演奏もメンゲルベルク的特徴は随所に聴かれるが、それでも結構端正で驚いた。テンポは常に揺れているが、テレフンケン盤のように不自然ではないし、フレーズの処理や、トランペットの扱いが特徴的な管楽器の音色など、まさにメンゲルベルクそのものです。また、テレフンケン盤や同時期のライヴ録音よりも、ずっと若々しいのも魅力だ。なお、この時代に第1楽章の提示部が繰り返されているのは、非常に珍しく、テレフンケン盤では反復は行われていない。

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via Amadeusclassics

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